2010.07.04. 義母と祖父の命日

7月2日は私の知らない義母の命日でした。今年はブルガリアに行かなかったので、お墓参りもできませんでしたが、ネディも1日にスウェーデンに戻ってきたため、お墓参りはパパだけでいったのかな、と思います。

そして7月4日は父方の祖父の命日です。とはいっても、私は具合の悪くなった祖父を見ていないので、いまだになくなったという実感がないというのが本音です。なんだか、熊本に行ったらニコニコしている祖父が出てくるような気がしてなりません。
私は東京に住んでいたので、私がとても好きだった叔母も同じことです。急な白血病であっという間になくなってしまったのですが、弱っている姿を見ていないためか、まだ熊本へ行けば「来てたの?」とニコニコ現れるような感じがします。
でも、その祖父が住んでいた戦争でも焼けなかった素敵な中庭に池のあるトイレがちょっと廊下の向こうで怖かった、祖母が火鉢で餡子などを煮ていた土間のある家はもうとっくにありません。
スウェーデンでは古い家などとても大切に保護したりしておりますが、日本はなぜ取り壊してしまうのでしょう。
祖父が納得して家を解体したそうですが、やっぱりあの家がなくなったのはショックだったろうと思います。
それが原因とは思いませんが、その後、倒れて具合が悪くなってしまったのが私は残念に思います。

さて、1日にネディが戻り、4日には音楽フェスティヴァルに行っていたイヴも真っ黒に日焼けをして戻ってきました。
仕事のあった謙は今年は土日に行きましたが、日曜日の朝方戻ったようでした。

イヴは物凄く感激して、大喜びで戻ってきました。
ホッケーの大きなリュックサックにパンパンに食べ物から何から詰め込んでやっとの思いで背負えるほど大荷物で出かけていきましたが、帰りはかなり軽くなっていました。
フェスティヴァルのキャンプ場では沢山の友人たちとも会ったようですし、またあちらで友達になった人も沢山いたようでした。
スウェーデン中からの若者から年寄りまで集まっていたらしく、影響されやすいイヴはすっかりしゃべり方がにわかスコンスカ(南スウェーデンのスコーネ地方のかなりわかりずらい方言)になってしまったようです。
私も結構そんなものの影響を受けやすいタイプで、住んだ事もないのに、現在実家のある熊本へ行くと熊本弁がでてくるから不思議です。
その割には、どうしてもスウェーデン語の発音(英語も含めて)RとLの区別がちゃんとできないのはどうしてだろう。。。

というわけで、夕食にはイヴにバーベキューの火をおこしてもらい、串焼きのバーベキューとブルガリアのヨーグルトときゅうりのスープ(タラトール)新じゃがのゆでたもの、野菜サラダ、そして最後に焼きとうもろこしと取り立てのイチゴ、という豪華食でした。
イヴはキャンプ場でろくにシャワーも浴びず、爪は伸び放題で汚れて、しかも、ちゃんとした食事をせずに栄養がかたより、やっと人間らしくなったと言っておりました。

まあ、準備から何から一人でやって、友人たちとテント生活をし、音楽三昧で本当に良い経験ができたと思います。
車で出かけた謙も無事戻ってきて、やれやれというところです。

遊びに夢中になると呼んでも全く来ようとしないミオに夢中なときもちゃんと呼ばれたらくるように庭でいろいろトレーニングをしました。
夜の散歩でも自分中心になっているとき、呼びかけてこちらの支持に従うようにあれこれとトレーニングしました。
ある意味、先代のミミは元の飼い主が亡くなって居場所がなくなり、飼い主の子供の家庭にあまり歓迎されずに引き取られていたということもあってか、家の中でもわたしがうっとうしく感じるくらい私について歩いて降りました。ほんと、ちょっと何かをしに私が家の中を移動しようとすると、そのたびについてまわっていました。
きっと、またどこかにいってしまうかも、って心配だったのでしょう。
赤ちゃんのときから恵まれて愛情一杯に育っているミオは、その分、危機感がないのか、私がいなくても全く平気という感じがあります。
でも、近くの犬を放せる犬専用の遊び場で、放して、ミオが何かに夢中になっているときに大きな木の陰に隠れたら、私がいないことに気がついて走ってきました。木を利用してぐるりと回ってまだ隠れていたら、かなり必死になって走り回って探していたので、ミオも私がいなくなるのはやっぱりいやなのかということがわかり変に安心しました。

この頃、私の意志とは関係のない広告が下記のように入ったり入らなかったり。。。これって、いったい何なのでしょう。
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by Obreykov | 2010-07-05 21:05 | 徒然なる生活
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