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2011.11.25. 父の入院

2011年の11月25日早朝、日本では既に夕方、珍しく母の弟から電話があり、あとで電話をしてくれというので、「父のこと?」と訊くと、そうだというので、心配していたら、すぐに母からも電話がありました。
母の弟は母のところから母がトイレに行っている間を見計らって電話をしてきたのでした。母は結構しっかりして、父が肺炎を起こし、急遽入院したというのです。そのすぐあとに叔父に代わってもらい、いろいろきくととにかく入所していたみつぐ苑で父が呼吸困難になってチアノーゼを起こしていたので、入院させようとしたけれど、どうしても入院したくないと言っていたので、ちょうどデイサービスに行っていた母をよんで説得してもらおうとしたらしいのです。母が「今死なれては困るのよねえ。。。」というと、父はすぐに納得して国立病院に即入院ということになり、母の弟、私の叔父がすぐに来てくれて入院の手続きをとり、夕方までかかったということでした。
私は「私もそちらに行った方がよいのかなあ。。。」と、叔父に言うと叔父は「そのほうがよいと思うよ。」と言いました。
夏に日本に行っていた頃、医師がPSPでは、最後には自分で嚥下できなくなり、誤嚥性の肺炎を起こした時は覚悟をした方がよいと言われました。
嚥下できなくなると、栄養補給は胃に管を通すようになるけれど、父は入所する際に胃に管を通したり、気管に管を通したりなどは決してしてほしくないという書類にサインをしていました。元気な頃から自分が病気などで駄目になる時は延命措置は決してしないでほしい、と言っていたのを私は良く知っているので、もう、だめか、と思ってしまいました。
すぐにチケットを手配しましたが、一番早く行ける便でも翌日の夕方の便でした。
ニッキィのスケートもやっとこれからエリート戦なども出て、スウェーデン全国選手権を控えていたので、トレーナーのターニャにも連絡をしました。
夜にはターニャも「こんな時間に電話して申し訳ないけれど、ニッキィの練習のためには私が迎えにいったり送っていったりできるから遠慮なく言ってほしい。」とまで言ってくれました。
自分も両親を亡くした経験があるからわかるけれど、人生はまだまだ続いていくのだから、強く受け止めすぎないように、子供もそして家族もいて、人生がまだまだ続いていくのだから、とも言われました。

26日の夕方の飛行機でフランクフルト経由で成田に到着して福岡、そして福岡から高速バスで熊本まで行きました。
私がついたのは27日、もう夜遅くなってから。。。
母は意外に元気そうで安心しました。
父の病状を受け止められないのか、事の重大さがわからないのか。。。

母は、私が2010年の夏にイヴとニッキィとで日本に行った際、ひょんなことからもう何年も前に亡くなっていた母の叔母のお見舞いにしばらく行っていない、なんて言い出したので、おかしいと思ったのでした。
庭仕事のこともいつも父がストックホルムに来た際にすべて庭仕事をしてくれていたのに、このごろ来てくれないから庭や植木がすごいことになっている、夫のよく手伝いにきてくれた友達のドブリも亡くなったし、などと話していると、ドブリも亡くなったの?などと、良く知っているはずのことなのに、まるで初めて知った様な言い方。。。
そのころデイサービスに行っていた父の方が、「しっかりしろよ、何言っているの?」などと笑っているくらいでした。
私は、その夏、田んぼのある道で転んでしまい、傷がなかなか治らず化膿したので、父と母のかかりつけの医者に見てもらっていました。そのとき母の様子を医師に説明し、心配していることを言いました。
ちょうど私たちが日本へ行く直前に母は街に買い物に行った際、エスカレーターから落ちて脚のすねをかなり切り、救急車で救急病院に運ばれたのでした。そのとき、頭もうったらしく、レントゲンなども撮ったけれど異常はなかったのでした。
でも、医師が内出血をして脳を圧迫している場合、たまに記憶が喪失する場合があるけれど、その出血を取り除けば元通りになるから、CTスキャンをとってみましょう、ということで、CTスキャンをとってもらいました。
しかし、何の内出血も見つけることができませんでした。
そこで、MRIをすることになりました。
すると、まだ初期段階ではあるけれど明らかにアルツハイマーの脳の萎縮が見られることが診断されました。
それで、母も介護保険の認定を受けることにして、父が入所するから一人暮らしになるし、父に会いにいくということも含めて、と母に話して、母もデイサービスを受けることができるようにしたのでした。
母は至って元気で、普段通り明るく人との関わりもとてもよく、他人が見たら、全く正常な元気なおばあさんという感じです。でも、一緒に生活するとやはり、つい先ほどの記憶が途絶えているのがわかり、同じことを何度も訊いたり、同じものを何度も買ったり、という感じでした。
でも、それがゆえ、父の病状が大変な状態であることをきちんと理解できないのか、それもそれでよかったのか、という感じでした。
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by obreykov | 2012-03-12 08:06 | 両親
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