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2011.12.01. 父の涙

12月1日は父の母、つまり私の祖母の祥月命日でした。
私は私の母方の祖母の祥月命日に生まれています。夫は誕生日に父親を亡くしています。叔父の誕生日に叔父の叔父が亡くなりました。ニッキィは夫の叔父の祥月命日に生まれました。
何か、こういうことって家族の中でつながっている様な気がして、私はこの日、12月1日、ニッキィの誕生日の5日、など、ちょっと気になる日にちでした。

この日は母をみつぐ苑のデイサービスに見送ったすぐあとに佐賀に住む父の妹の長男が駆けつけてくれました。
このいとこは大学生の頃東京の大学に行っており、下宿先が私の家のすぐそばだったこともあって、よくうちに食事に来ていたりして、歳も同じなことも手伝い従兄弟の中ではとても話しやすい頼りになる存在です。
しかも、父が一番愛した末っ子の妹の長男なので、私の父も私が嫉妬するほどかわいがっていました。
お茶を飲んでほとんどすぐに出かけ11時の面会をしました。
前日より、少しよくなっているのか、手など少し暖かくなっていました。
無意識のうちに苦しいからか、人工呼吸器や、胸から水を出すための管などをとろうとするためか、手はガーゼのグローブの様なものをかぶせられ、ベッドに固定されているのが何ともいたたまれませんでした。
でも、看護士さんたちの話では、それだけ力が出てきた証拠であるということで、私たちが来ているので、ガーゼのグローブは外してくれました。
せっかく従兄弟が来てくれているのに、目はとうとう開けませんでした。
でも、従兄弟の声かけに反応して、手をだし、従兄弟が握るとちゃんと握り返したようでした。

従兄弟の父親は実は11月9日に亡くなっています。
私は、熊本に行くたびに血はつながっていなかったけれどこの叔父が好きで必ず電話をしていました。
叔母はあまり体調が良くなく電話で話すこともなかったのですが、叔父とはかなり長話をして楽しいひと時を過ごしていました。夏に日本へ帰った時も叔父と北京経由で来て大変だったこと、叔父が大連にいた時代のこと、いろいろな話をしました。
「絵美子にもあいたいなあ」と叔父は言っていました。今度ゆっくり会えるよっていって、とうとう会いにいくこともなかったのですが、まさかあの叔父が亡くなってしまうなんて。。。叔母は父の妹で、母同様に少し惚けが始まっているようで、私は叔父を亡くして叔母ががっくりしてしまうのではないかととても心配していたのに、惚けが助けになって、あまりがっくり来ていないということでした。

叔父は癌だったのですが、最後は父と同じ人工呼吸器をしていたそうです。
これは極新しい人工呼吸器でかなり性能が良いらしく、ちょっと前だと挿管しなくてはならない状態だったそうで、ほぼそれと同様の効力のある人工呼吸器だそうです。
佐賀の病院にはその装置がなく、福岡の病院から借りてきていたそうです。
父の入院した熊本の国立病院は改装されて間もなく設備もすばらしいものでした。
まるで、ドラマの中にいる様な感じでした。
叔父の場合、会話もできる状態だったので、その人工呼吸器がとても辛いものであることなど話していたそうです。「お願いだから、今度寝たらもう起こさないでください。」とか「その人工呼吸器だけは辛いのでつけないでください。」などと言っていたそうです。
かわいそうに父はそんなことも言えず、ただただ辛そうな息をして寝ています。時々「あーあー」と辛そうな声も出していました。
医師や看護士も説明してくれなかったその装置こと、数値の見方なども従兄弟が説明してくれました。
自分では呼吸ができないので、機会が酸素を送るだけでなく二酸化炭素を出すように工夫されて、無理矢理呼吸をさせられているようでした。

従兄弟と私のことがわかったのでしょうか。父は手を出してくれました。
私が子供のときつないでくれた父の手はすっかりむくんで私の知っている父の手では亡くなっていました。
肩はこれ以上細くなれないというほどやせ細っています。

集中治療室は重病人ばかりで面会も時間が決められて長くいることもできないので、従兄弟とその場を立ち去りました。
二人で久しぶりに中華を食べにいきました。
従兄弟も自分の父親を亡くしたばかりなのに、私のことを気遣ってくれて本当に力になりした。

私の祖母は私たちが生まれた年は忙しかったとよく話していました。末娘のところにこの従兄弟が2月に生まれ、そうこうしているうちに春になると私が、夏になると父のすぐ上の姉のところにもう一人の従兄弟が生まれ、九州と東京を行ったり来たりしていたそうです。

従兄弟が私を家まで送ってくれ、しばらくするとデイサービスから母が戻ってきました。
母も自分とは血がつながっていなかったけれどこの従兄弟はとてもかわいがっていたので、大喜びでした。
従兄弟は佐賀まで帰らなくてはならないので、分かれ、私と母は18時の面会にいきました。
状態はほとんど同じでしたが、私たちが話しかけていると父の目から涙がにじんできました。
父の涙を見たのは初めてかも知れません。
ティッシュで拭ってあげました。でも、またしばらくすると父の目から涙が。。。
私たちがいることがわかったのでしょうか。何を言いたかったのでしょうか。

夏には悠長にに会話という訳にはいかないまでも、父とちゃんと会話を交わすことができました。でも今はこの父の涙で、私は一体何がわかるのでしょう。。。
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by obreykov | 2012-04-11 01:49 | 両親
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