「ほっ」と。キャンペーン

2012.12.02. 父危篤

いつものように母をデイサービスに見送り、11時の面会に行こうと準備しているとしばらくして、病院から電話がありました。「国立病院です。」と言われた時は、心臓が凍る様な気がしました。
意識がなく、すぐにでもくることができるかというのです。
私はすぐにみつぐ苑に電話をして母を待機させてもらい、迎えにいきました。叔父叔母にも電話をして病院に来てもらいました。
全く反応がありません。
医師が、駄目かと思ったが少し状態が良くなり、意識はないが小康状態だ等説明してくれました。
どちらにしても週末でもあるため、私は銀行に行き、少し現金を用意することにしました。
母は叔父たちが家に連れて帰ってくれました。母がアルツハイマーが手伝ってか、あまり危機感がない様なのでかえって助かります。
私が銀行などに行ったりしている間、本家の父の兄嫁が14時の面会に来てくれたそうですが、そのときも反応がなかったそうです。
私は18時の面会にいきました。
前日は涙をこぼしたじゃない、どうしちゃったの、と語りかけるけれど、手も出さないし、目も開けないし、ただただ苦しそうな人工呼吸器の音だけが響きます。
あちらこちらのベッドでもピーピーと器械が鳴っていて、看護士たちが走り回ったり、本当にドラマでも見ているのか、と錯覚するほどでした。
医師は小康状態で、何とも言えないと言います。
このまま、残ってくださいとも何とも言えないと言います。それが本当のことなのでしょうけれど、私は一体どうしたらよいのでしょう。
連絡があって30分以内には来ることができる、ということをお互いに確かめ、とにかく私は母もそのままだったので、家に戻りました。
叔父たちが母と一緒にいてくれて、私たちは夕食をとり、叔父が帰る時に私は病院に送ってもらうことにしました。
こんな時でも人間はお腹がすくのが何とも不思議でした。
母は元々一人暮らしになれているし、心配ないというので、連れて行っても疲れさせるだけなので、私一人で向かいました。

完全看護の集中治療室のため、家族の泊まるところなんてありません。でも、家族用の控え室があり、看護士さんが案内してくれたので、そこにとりあえず泊まることにしました。
その日は大きな部屋に一家族いました。私は奥の小さい部屋に座りました。売店で買ってきた雑誌も見る気にもなれません。
部屋が暑くて、売店の方へ行き、飲み物を買いにいったりしました。
戻ると先ほどまでいた家族はいなくなっていたので、私は大きい部屋に一人座りました。ソファに長くなっても眠れるはずがありません。
外で足音がするたびに、看護士が私を呼びにきたかと思ってドキッとしました。
暑くて暑くて空調で一番低い温度にしたのに、息苦しいほど暑い感じでした。でも、父はもっと辛いのだろうと思いました。。。
[PR]
by obreykov | 2012-04-11 02:07 | 両親
<< 2011.12.03. 父もちなおす 2011.12.01. 父の涙 >>