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2005.11.18 その2 日本人学校三十周年記念をおえて。

接待係の委員が、ついでに私たちのお弁当も頼んでしまおうというアイディアを出して私の家族の分もお弁当を頼んでくれたので、本当に助かりました。
いつもより早く出かけて、駐車場がなかったらどうしようと思いましたが、神様は私の見方をしてくれました。本当にラッキーというか、学校のまん前に1台分だけあいているではありませんか!
まるで私が来るのを待っていたように!
たくさんの荷物を預かっていたので、本当にラッキーでした。習字の道具、バザーで販売するビデオ、車に入りきれないほど積み込んでいたので、この場所は本当に神様が私のためにとっておいてくれたとしか考えられません。
二十周年記念のときはネディがまだ学校に入ったばかりで、私たちはお客さんの立場のように行ったのでした。今回は主催者側の立場で、本当に目が回る忙しさでした。
何度五階までの階段を上り下りしたかわかりません。
式典が始まるとやっと一息、座れた感じでした。
式典では実行委員長、運営委員長、校長の挨拶から、大使始めとする来賓の祝辞などのほか、祐馬くんと謙がまとめたパワーポイントでの三十年の歴史で始まりました。

2005.11.18 その2 日本人学校三十周年記念をおえて。_a0022183_2030072.jpg2005.11.18 その2 日本人学校三十周年記念をおえて。_a0022183_20303857.jpg









教頭先生の台本もわかりやすく簡潔にまとめてあり、ポイントを抑えた写真を集めてくださったので、本当に良い作品になったと思いました。親ばかかもしれませんが、二人には本当に良くやったとほめてあげたい気持ちで一杯でした。
何よりも嬉しいのは二人が学校に入学する前からちょっとはにかみながら、兄弟の授業が終わるのを待ちつつ遊んでいて今ではこんなにお互いが理解できる良い友達となって二人で力をあわせて作品にしたということでした。
また、教頭先生が紹介をするときに“二人が製作した”と紹介してくださったので、いろいろな方から、良い作品でしたと声をかけていただきました。
生徒の舞台発表もなかなか良いものでした。楽器を弾いている生徒が数名いましたが、実はうちの子供達も先生に弾いてもらえないかと頼まれたとき、いやだと言ったのでした。どうしてこんなに非協力的なのかと少し悲しくなりました。

式典のあとでは、催し物をしました。この計画を立てるに当たって、教頭先生には本当にいろいろ助けていただき、大変ではあったけれど、二人で食事をしたりしながら計画して、今まで知らなかった教頭先生の良いところをたくさん知ることもできて、とてもよかったなと思いました。それにしても教頭先生も私に負けずに、自分がいないと地球が自転しなくなる、という感じで、すべての仕事を抱えていらして、健康もちょっと不安なときに、心配でなりませんでした。まあ、私もそうですが、何かに向かって気を張っているときはなんとかなるものです。その後がちょっと爆弾を抱えている感じで恐ろしいのです。。。でも二人ともその後も健康を害することなく過ごしているので、神様に感謝しなくちゃ、と思いました。
私の企画した折り紙、書道、そしてその他の昔の遊びは大盛況だったようで、いろいろな小さな失敗や、反省点はありますが、大成功と言ってよいでしょう。
たくさんの保護者や卒業生の協力も大きく、いろいろな人の支えでこれだけのものが出来たのだという満足感は大きなものでした。

ニッキィがストックホルムスケート協会のプロジェクトで、スケート場に行かなくてはならず、パパもそのときまでは留守だったので、1時間ほど席を立たなくてはならないと、委員の人に断ってはいたのですが、なんとラッキーなことに今回のプロジェクトにはグルンドテストに受かった男の子のスケーターも参加できることになっており、委員の一人の息子さんが一緒でそのパパが送っていくからニッキィも連れて行ってくれるといってくれました。
ここでも神様は私のみかたをしてくださったのだと思いました。ニッキィはもう、たくさんのスケート場を知っているし、行けばクラブは違ってももうすっかり仲良くなっているメンバーが沢山いるので、心配ありませんでした。
私は、そのまま会場に残ることができることになりました。その代わり、忙しさは頂点に達していた感じです。自分の子供とも会場を見て回ることもできず、でもそんなことに慣れっこになっているうちの子供達はそれぞれの友達達と楽しく過ごしていたようです。

すべてが終わるとニッキィを送ってくれた家族のお母さんを車に乗せて、まずはうちにもどり、謙のホッケーの道具をスケート場に置きに行き、謙にはバイクで行ってもらい、私たちはニッキィたちのいるスケート場に向かいました。
ちょうどプロジェクトが始まるところで、ニッキィの友達のペールもそして、クラブのニッキィと同じ歳の男の子、ランティンも来ていました。
ニッキィは自分のクラブから三人も男の子が参加したので、嬉しかったようです。また、いつでも一番チビのニッキィも子の日はランティンや日本人学校の男の子もいたので、ちょっと大きくなった感じでした。

パパが飛行場に到着する時間になったので、私はニッキィたちをそのままに、飛行場へ向かいました。幸い、我が家と飛行場の間のスケート場だったので、助かりました。何もかもが大忙しの私のみかたをしてくれている感じでした。
ニッキィたちの練習が終わる時間まで、ドイツにあるリーデルというスーパーが近くにできているので、そこへ行きました。シュトュットュガルトのリュプカの家の傍のスーパーとほとんど感じが似ているので、懐かしくなりました。

そして家に三人で家に戻って、それぞれの子供達も戻ってきて、家族団らんというところで、私はくたびれ果ててソファにごろりとなったまま、眠ってしまいました。
夕食を食べる気力もなく寝てしまい、夜中になってごそごそとベットに移動しました。
by obreykov | 2005-11-18 20:32
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