2004.05.31 先に親離れした娘と子離れできない親

日本へ行くチケットの予約を入れ、帰りに東京で1泊して東京ドームを見に行って留学中の娘にも会おうという計画を立てて、娘に連絡を入れるとカンカンになって怒ったメールが入りました。
自分は日本へ遊びに行っているのではなく留学しているのに、勝手に東京に来て邪魔をしないくれという所なのです。
東京の予約が取れた時点で、実は私も一瞬、果たしてこれで良かったかなと迷ったのでした。何故かというと、あれだけ自分が日本にいる間に日本へ来てくれるなと言っていた娘が本当に喜ぶか、また私たちが帰った後、急に淋しくならないか、とも思ったのでした。
それは私が、今まで日本とスウェーデンの間で、何度も別れを経験し、去っていく側の別れと去られていく側の別れではその悲しみと寂しさの大きさが全く違っていることを実感しているからです。
でも娘はもっと深い所で、私たちの来訪を歓迎していなかったのです。つまり、娘のほうがこの3ヶ月でよほど早く親離れが出来、親のほうが子離れができなくて、東京ドームのナイターを見にいくと言訳を付けながら実は娘の様子を垣間見に行きたい気持ちでいっぱいだったのです。

娘のメールを見て、あまりにしっかりした考えで日本へ留学した娘の本当の気持ちが分かり、安心するとともに軽率だった自分自身を深く反省しました。
東京へ行くに当たって、旅行会社の何十年来とお世話になっている方や、東京ドームのチケットの手配をお願いした私の叔父や、父や母、そして何よりも留学中の娘とそのお世話になっている御家族のかた、周りの人々を台風の目に巻き込んでしまいました。
でも、早速、旅行会社に連絡を取り、熊本へ関空経由で直行し、そのままストックホルムへ直行して戻るというようにチケットの予約を取り直してもらいました。

そんなこんなで、日本へは行くものの、今回も私の街、東京訪問はなし、九州のみの日本行となりました。

娘が留学するに当たって、あまり連絡を密に取らないように、などの指導はあったのですが、他の留学生の御家族から子供がどうしたの、ああしたの、日本へ訪ねるだの、お宅は行かないの?などと言われたりするとなんだか不安になってしまい、日本に行くのに東京に寄らないのは異常かなとも思うようになったのも事実でした。また、極力連絡はしないようにしていたものの、やはり様子が知りたいのがはじめての子供を手放す親の気持ちで、たまにメールが入るとすぐに返事を沢山だしてしまって、これではメールの書きすぎかなと思う時もありました。
私が大学時代や卒業してから、1ヶ月、2ヶ月という短期間ではあったけれど、ブルガリアに留学した時はメールなどなかったから、手紙を送るか、留学中に1度か2度、電話局に行ってうちに無事を知らせた程度でした。
一人娘の私を親戚も誰もいないブルガリアへ行かせてくれた親の心配やら今になって良く分かります。
これは、留学している本人の自立とともに、親が子離れをするための試練でもあるとつくづく思いました。

どうしてもはじめての子供は親にとっても何事も始めてなので、手探り状態です。二人目からはあの時こうだったから、ああしたほうがよい、などと様子が分かり少し気楽にもなるのですが、そんな意味では長女にはかまいすぎ、心配しすぎ、ストックホルムの街へも弟に連れていってもらうような娘に育ててしまいました。その子が東京という大都会で、毎日山の手線に乗って学校へ通っているのかと思うだけで本当に信じられないくらいです。
言葉だけでなく色々な意味で勉強になる1年だと思います。

さて、こちらはというと、先週から、自分流の漢方療法というか、生姜のすりおろしたものを入れた紅茶に蜂蜜を入れたり、オレンジを水がわりに飲んだりしつつ風邪を引いていた身体をだましだまし過ごしていたのですが、今回は私流の漢方(?)も念力もこの風邪には負けました。週末にはいよいよ自分を支えていられないくらいになってしまい、とうとう子供にピザ屋さんでピザを買ってきてもらい夕食にするほどになりました。こんな時日本だったら、たぬきうどんでもとって過ごせるのに、と思いました。
翌日は何とかお弁当を作り子供を日本人補習学校へ送っていきそのまま1週間留守をしていたパパを迎えに空港まで行ったのですが、どのように運転していったかわからないくらいです。空港ですぐに運転を代わってもらい、家に着いたらベットにパタンキューでした。
久々の辛さで、ろくにしゃべることさえ出来ないくらいでした。
そして今日は何とかこうして起きてPCの前にも座ることが出来るようになりました。
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by obreykov | 2004-05-31 21:48
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