カテゴリ:徒然なる生活( 50 )

2011.09.16. すごい! ネットの世界

便利な世の中になったものです。私が子供の頃は(というより、つい一昔くらい前までは)、日記というと日記帳に綴ったものでしたし、ペンフレンドというのがいると、切手を貼ってポストに投函して、郵便屋さんが運んでくれる手紙を楽しみにしたものでした。
ところが今は、インターネットで日記が書ける、調べものができる、ペンフレンドはメル友とか言って瞬時に意見交換ができてしまうという世界。電話もインターネットでビデオ会話ができてしまうからうっかりお風呂上がりに電話なんてできません。だから私は本当の電話を主に使っているのですが。。。
その電話だってこのごろは携帯が主で、私が両親と住んでいる頃は長話をしていると、「もう、いい加減にしなさい」と書かれたメモを母が持ってきて電話している私の目の前においていったものでした。
テレビだって何処の家出もチャンネル争いというのがあり、テレビを2台、3台と持っている家庭はあまりなかったし、今はテレビも各部屋にあるだけでなく、インターネットでパソコンの前でそれぞれが好きなものを見ているような時代になってしまいました。なんだか味気ない感じです。
久しぶりにテレビの前で家族と一緒に見ると、やっぱりああでもないこうでもないといいながら見る方が楽しいと思います。

こちらスウェーデンではFacebookというのがとても流行していて、私も数年前友人を助けるためのスローガンを掲げたグループに参加して人数を増やすのに協力してほしい、と言われFacebookを始めたのがきっかけで、あまりアクティヴにはしておりませんが、数ヶ月前に私が中学校のとき英語の勉強のために文通をしていたドイツに住む人から連絡がありました。はじめは誰だろうと思ったのですが、よくよく見ると彼女の旧姓も書いてあったので、「あっ」とびっくりして早速返事を書き、今ではメル友になって、数十年の音信不通の期間を隔て、再び文通が始まったのでした。一つ違っているのは、少女の頃はかわいい便せんを買ってきたり、ちょこっと何かを同封したり、クリスマスや誕生日にお互いにプレゼントを贈ったりしましたが、今はどんな字を書いているのかも互いにわかる事もないパソコンの世界です。

それからもう一つ、私の小学校のクラスでは卒業してからずっと毎年クラス会をしています。私も東京に住んでいた当初は参加していましたが、もう、参加する機会もなく、それでも連絡をくださる幹事の方や仕事でこちらに来たりするクラスメートとは細々ながら連絡し合っていました。
一人、勉強もスポーツも音楽も何もかも抜群にできるクラスメートがいました。幼稚園の頃から一緒だった近所の人だったのですが、その人は頭が良すぎて、そういう人たちの通う学校へと進学していき、全く住む世界が違ってしまい、それ以後はほとんどあう事も連絡を取り合う事もなく数十年が過ぎてしまっておりました。
私は、全く目立たない、ごくごく普通の子供でしたから、クラスだけでなくクラス以外の学校中の人気者のその人には、私以外の沢山の少女たちが幼い恋心を抱いていたので、私が好きになろうなんて思ったこともありませんでした。
でも、ある日、友達のその人への気持ちを助けてあげようと私たちが通っていた日曜学校の何か催し物があったとき、私が近所に住んでいて話しやすかったこともあって、誘ってあげたのでした。
ところが、私が友達の恋のキューピットになるはずだったのに、その人に誘った事を大変喜んでいただき、何と、その人が私の事が好きだった、という事がわかって、びっくり仰天、ということが起きてしまいました。
その後も、お互いに学校が違ってしまったのでしたが、私は地元のごく普通の学校へ行き、ごく普通の塾で楽しく過ごし、(当時の塾には進学塾と私のように楽しんでみんなで勉強するような塾とがあったのです。)頭の良いその人と、お互いの塾でもらってきた問題を見せ合ったり、私がわからないところを教えてもらったりしました。
とは言っても勉強があまり好きではなかった私ですから、それは、少しありがた迷惑みたいな感じがあったのですが、その勉強にもれなくついてきた「文通」(交換日記みたいなもの)が、魅力でした。

私は一人娘でしたが、両親の友人の子供に男の子が多かったり、近所の母の友人たちも男の子を持っている方が多かった事なども手伝ってか、我が家には結構いろいろな男の子が出入りしていました。だから、交換日記や問題集を私に渡しにその人が来ても、全く問題がなく、ちょうどその人もピアノを習っていて、アメリカの私が大好きだったピアニストが日本に来るとわかった時は即座にそのチケットを買ってもらい、その人にも気楽に一緒に行こうと誘ってしまったのです。そのピアニスト、チャイコフスキーコンクールで見事第1位になった当時、ソビエト連邦とアメリカ合衆国の冷戦の中の出来事は当時かなりな話題になったそうですが、ヴァン クライバーンときくとほんのり甘酸っぱい小さな恋の思いがよみがえってきます。
ところが、まだまだ若い少年少女が夜出かけるという事が大変な騒ぎになったその人の家庭では、絶対にコンサートにいってはいけないということになったそうで、私は一人でピアノを聴きにいったのでした。
そして特にこのベートーヴェンのピアノ協奏曲の5番が好きで好きでたまらなくクライバーンの弾くLP(当時CDなどというのはなかったのです。)をすり切れるのではないかというほど何度も何度も聴いてうっとりしていました。こんなに美しくキラキラした音で弾く人がいるなんて、と幼心に感動し、こんな人のお嫁さんになれるなら何もいらない、と、思うほどでした。


そんなこんなで、コンサートにご一緒できなかった彼とは学校も違って、音信不通になってしまったのでした。その方と今になって連絡を取り合うことができ、昔々の小さな恋の物語の交換日記がメールで再現されるようになったのです。
とはいってもお互い全く別の世界に住んでおり、環境も場所も何もかも違って、一生会う事もないのでしょうけれど、このインターネットのおかげで、それでも連絡が取れるという事は何とすばらしい事でしょうか。
今、大河物語を楽しみに見ていますが、あの頃の人たちはこんな世界があるなんて、想像もできなかったと思います。
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by obreykov | 2011-09-17 03:52 | 徒然なる生活

うわっ! もう夏も終わり! 新学期も始まっている!

三日坊主という言葉があるけれど、私のこの日記、結構続いていたのに、何と何とこーんなに長い間ログインさえもせずに過ごしていました。
今はもう仕事に行かなくてはならないけれど、またこれから少しずつでも綴っていこうと思います。

思えば、ひな祭りのあと、遅いストックホルムでも桜が満開の桜祭りが市内であったり、4月には高校のクラス会をパリで行うという、何ともリッチな気分になり懐かしい友人たちと楽しいひと時を過ごせたり、ニッキィがエリートシリーズのファイナルで優勝して、スケート協会にはよい記事を書いていただいたり、そして、年度末のコンサートやらなにやらで忙しく過ごしあっという間に夏休みを迎え、ニッキィの合宿の送り迎えで便乗ドライブをしたり、今年の夏は子供たちはそれぞれの忙しいスケジュールでそれぞれが行動し、私はというと長男の謙と北京1泊経由で日本へ行きました。
謙は2週間でかえり、私は約1ヶ月滞在し、戻ってくるとこちらでの生活も慌ただしく進んでおり、そのペースに乗せられながらあっという間に新学期も迎えてしまいました。

とにかく今は仕事に行く前ミオの散歩をさせないと!
帰ってからゆっくり時間はないと思うけれど、今後、また日記をここにも書いていこうと決心!
まずは何か一言でも始めないといつまでたってもログインさえしない気がして。。。
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by obreykov | 2011-08-29 16:58 | 徒然なる生活

2011.01.02. 大雪のストックホルム

去年も大変な雪と寒さでしたが、今年はもっと大雪です。雪かきしてもその雪をどこに捨てたらよいかわからないほど!
ラッセル車が通った後は、家の前のパーキングのところまでその雪がこんもりと山になってしまい、それを今度はどけなくては車がでることさえできません。
昨日は私が夜中に1度、昼間にもう1度雪かきをしたにもかかわらず、まだまだ粉雪が降り続いて謙が車を持って帰った時はパーキングすることができませんでした。
道はどんどん狭くなるし。。。
何度雪かきをしたことか!せめてパーキングの前の雪をどけて、道も少し広くなるように捨てる雪も工夫して体中が筋肉痛になりました。10日からまたピアノを弾かなくてはならないのに、特に右腕や手首が痛くてちょっとした角度ではティーカップも持てない感じです。
とはいっても雪かきをした後のすがすがしい気持ちはなんだろう。。。ミオの散歩から戻るとミオを木につないで雪かきをせっせとする私。。。かなりな運動量で、そのあとは体中がほっほっと暑くなり、汗が全身から噴き出してきます。これはかなり良いダイエット方法かもしれません。

今日も車がちゃんと出て、戻った時もパーキングできるように工夫して雪かきをしましたが、我が家には二つパーキングがあるのですが、さすがに1つしかできませんでした。もうひとつのところは子供たちにまかせましょう。。。まず、そこにパーキングしてある雪に埋もれた2台の車を雪の中から救い出して車の上の雪を下に落としてからその周りを雪かきして、パーキングの前に積もったラッセル車の残骸をどけなくてはなりません。。。。気の遠くなるような話。
だから、現在我が家で使える車は3台目だけ。。。3台あるのに1台しか使えない不自由な生活をしています。
そうだ、あす、この大雪の写真でも移しておかなくちゃと思いました。

そんな大雪で飛行機も飛ぶのかと心配していましたが、今朝はもう雪も止んで、ターニャを迎えに行ってニッキィと二人、飛行場へ送って行きました。
ターニャがいつも北の地域のエリート合同合宿に呼ばれて新年合宿に行くのですが、ニッキィとダンネとミッケもそこへ連れて行ってもらうのです。昨年はニッキィたちはバスで8時間9時間も行きましたが、今回は飛行機にしました。
いつもながら無事着いたのか、元気なのか、全く連絡のないニッキィです。まあ、連絡があるときはいつもろくなことがないのですが。。。(前にも書いたけれど、珍しく電話してきたので、どうしたのかと思うと、スケート入れるリュックにバナナが入れっぱなしで、腐って真黒になってジュクジュクしていた、というではありませんか。観戦に行ってい見るとスーパーの袋にスケート靴を入れてホテルとスケート場を行ったり来たりしていたのはわが息子ニッキィでした。)

イヴは数学のテストが新学期早々あるというのに、教科書を学校のロッカーに忘れたので、友達に借りに行って今コピーをしています。これからその教科書を返しに行くのに送ってくれというので、連れていく親バカな私。。。
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by obreykov | 2011-01-03 03:33 | 徒然なる生活

2011.01.01. 明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。
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珍しく家族全員の写真です。クリスマスカード年賀状用に撮影したのですが、ここにいたるまで何枚うつしたでしょう!実はその出来損ないの写真を見るほうが余程我が家の様子がわかって笑えるのですが、ここではこの1枚しか紹介しません。
それぞれに大きくなって、ミオちゃんも大きくなって外は大雪なので、それはそれは大はしゃぎで散歩の始まりは歩調を合わせるまで時間がかかります。。。
今年もみんなが健康で楽しいことが沢山起こりますようにと祈りました。
ゆっくりとウィーンの新年コンサートをテレビで聴きました。

スウェーデンの大晦日は12時とともにあちらこちらで打ち上げ花火が上がり、可愛そうにミオちゃんは心臓がバクバクして、それはそれは怖がっていました。1時過ぎてあたりが静かになったころ、だいぶ冷え込みも和らいでいたので(マイナス2度ほどしかありません)、私はミオと散歩に出かけました。
なんだかこのごろ夜中の散歩を楽しんでいますが、なかなか良いものです。
細かい雪が沢山降っていたので、家の前の道やパーキングのところの雪かきをしたら、もう汗びっしょりになりました。
ところが、今日起きてみるとまたまた雪は積もっており、マルティンのところでお正月を迎えた謙が車を返しにやってきましたが、パーキングに入れるところどころか、その前の段階、つまり道のところで雪にうずもってしまい、大変でした。
この雪、どうなるのでしょう。。。雪かきをした雪をどこに捨てるか困ってしまいます。
まあ、車に乗らないなら真っ白でふわふわでとても素敵です。

きょうは、家族全員の散歩はなしでした。。。
謙も戻り、イヴも戻り、全員で早めの夕食というか遅い昼というか。。。謙は相当飲んだらしくきょうはワインを断りました。
ネディは早くもいつものスケート仲間と映画を見に出かけました。
明日からニッキィはエンシャンスヴィーク(発音難しくてカタカナで正しくかけません。)へスケート合宿に行きます。飛行機が飛ぶかしら。。。
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by obreykov | 2011-01-02 04:42 | 徒然なる生活

2010.12.30. 夜中の散歩

昨晩、30日になって間もなく、ミオと真夜中の散歩へ出かけました。インターネットで色々見ていたら、あちらこちらのページに移って、なんだか終わりがないくらい色々な記事や動画や色々な知らない人のブログやらたどり着いて、こういうのをオタクって言うのかなと思ってしまいました。あっという間に時間が過ぎていきました。あまりに疲れたので、散歩に出たわけです。
マイナス20度が続いていたストックホルムでしたが、寒さが和らぎ雪もところどころ固まっていたのが崩れて歩きにくい場所もありました。
でも、だーれもいない外、ミオも落ち着いていて、帰ってからはパーキングの前の雪をもう少しきれいに雪かきさえしてしまいました。丑三つ時。。。ネディは友達のお婆さんちで本当に合った話を基にした悪魔などの出てくる怖い話をビデオで見たので、眠れないといっていましたが、私はそんな怖いものを見ていないので、外の静けさがなんとも嬉しくていつまでも外に痛いような気分になっていました。
母には昼と夜が逆さにならないように、早く寝なくては、と毎日のように電話で言っているのですが、あっという間に明け方になってしまうという意味が初めてわかったような気がしました。
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by obreykov | 2010-12-30 22:27 | 徒然なる生活

2010.12.29. どうしてこんなにおひとよしなの

きょうは、ゆっくり過ごそうと思っていたのに、また、ただ働きをしてしまった。。。どうして、こんなに私はお人よしというか、なんというか、おめでたいというか。。。
3月でニッキィがめでたく日本人学校を卒業することになるので、この補習校に10年以上つくしてきた私もそろそろお役ごめんになって自由時間が増えるな、と思っていたのに、きょうは、すっかりそんなことも忘れて、今度はスケートクラブで頼まれたお正月のクラブでの試合のためのポスター製作やら、挙句の果てにはいつも私がやっていたことではあるけれど、掲示板に貼るための試合の結果の製作までしてしまいました。これはいつもやっていたのは、試合のあるたびにクラブのホームページに出た試合結果をちょっと見栄えよく掲示板様に書いていたのですが、このシーズンはホームページの係りが変わったり、やめたり、そんなこんなでアップデートされなかったのでした。
それで、掲示板様のものもかけずにいたのですが、このお正月の試合までに、掲示板がすっかり開いているのは寂しいと、書く事になったのですが、ある、役員は、もうこの際、この1ヶ月くらいの試合だけでよいわと言っていたのに、別の役員がかかれなかった選手が悲しい思いをしないようにすべてを書かないなら一部は掲示しないというので、あわてて、書き始めたというわけです。
そのつど書いていく分には全く大変な作業ではないのですが、こうして、10月からの3か月分の試合をそれぞれのホームページを探して書いていくにはかなり大変な作業でした。なぜなら、私たちのクラブのホームページには試合結果がアップデートされていないからです。

まあ、まあ、そんなわけで、おばかさんというか、家事もそのままにこんなお金にならない仕事をやってほとんど一日パソコンの前で過ごしてしまいました。
パソコンに座っているとメールも入ってくるし、余計なホームページも覗いてしまい、仕事ははかどらないし、馬鹿みたい。。。

とはいっても、何とかほぼ仕上げて、気分は上々。

私は、やっぱり私の稼ぎにならない仕事をほいほい引き受けてしまう運命にあるみたい。。。子供たちが自分で自分を忙しくさせているだけだといっています。
ホッケーでは謙が「ママは何もしないでね。」と、常に言ってくれていたので、何の役員もせず、せいぜいカフェテリアで働く程度でした。
スケートも何もするなとネディから言われて、役員はしていないものの、ついつい頼まれると色々してしまう私。。。

明日はしっかり家事に励みましょう。師走です。大掃除もしなくちゃ。。。
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by obreykov | 2010-12-30 02:41 | 徒然なる生活

2010.11.14.日本からかえって1週間

あっという間の日本滞在でしたが、かえって早くも1週間以上たってしまいました。
2週間の滞在中はあれもこれもやることが山のようにあって、充実した帰国でした。天気にも結構恵まれて台風の影響も熊本はさほどなく、一時冷え込む日もありましたが、昼間はカーディーガン姿で出かけられるほどでした。母のジヴァンシーのカーディガンを借りておりましたが、とうとう頂いて帰ってきました。

さて、私たちが行く前は父が週3回通っていたデイサービスのほうであまりに転倒が多く母が起こしたりできなかったため、ショートステイをさせてもらっておりましたが、私が長男の謙を連れて行ったので、翌日には父を迎えに行きました。
久しぶり見る謙の顔をずっと目で追って喜ぶ父の姿はなんとも印象的でした。
そこでは本当によくしていただいているのがわかるほど、父がリハビリなども受けて、栄養も考えられ、また、転倒などもしないようにしていただいたようで、とても元気になって歩けるようになって帰宅しました。
ベッドを2階から1階に移そうと話したのですが、頑として、そのままで良いというので、われわれで見守りながらそのままにすることにしました。階段ではゆっくりではありましたが、危ない様子もなく上り下りしていました。
ところが夜中トイレに起きる際、一度はベッドから転倒し、私や母の援助は受けたくないというプライドが高い人なのですが、幸い謙には心を許し、謙が手伝ってあげることが何度もありました。
謙も父には相当可愛がられた記憶が沢山あるのでか、本当にやさしく父を介護してくれました。
今度ほど謙を連れて行ってよかったと思ったことはありませんでした。

謙が東京の友達に会いに行きたいといっていましたが、父の介護にも困るので、私はいて欲しいと思いまし方、肝心の父が若いのだから行ってくると良いと快く出してくれました。
謙はご苦労様なことに、新幹線だけでも4万以上使って東京まで2泊3日のたびをしてきました。しかもちょうど台風が東京方面に接近しているときで心配しましたが、1日だけ雨に降られただけですんだようです。

謙が戻ってくると父もかなり嬉しそうに安心したようでしたが、本人も納得して11月からショートステイをしていたところに入所する事となり、私たちと一緒に行きました。
その朝は謙と玄関先で写真を撮ったり、本当に入所するということがわかっているのかなと思うような出発でした。
毎朝の仏様参りなどもこれが最後だとわかっているのかな、と思いました。
私のほうがこれが父の我が家での生活の最後の日かな、と胸が押し付けられるような気分でした。
母も、本当にわかっているのかなと思うように、栗ご飯は父が帰ってきたらしましょうね、といってみたり、ああ、もう帰ってこないのよね、と言ってみたり。。。

父は安全な場所で安全な生活をして、自宅にいないという精神面はべつとしても安心していられるところにいるというのは私にとっても安心していられます。
ただ、母が全く一人かと思うとそちらのほうも心配です。毎日電話をしますが、思ったより元気そうなので何よりです。

また後ほど、こちらの様子、あちらの様子、など書いていきましょう。。。
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by obreykov | 2010-11-15 04:13 | 徒然なる生活

2010.10.12. おめでとう結婚記念日

今日は結婚記念日。私たちにはスウェーデンでの結婚記念日と日本での結婚記念日(11月8日)があります。なんだか、たいていの年はパパが出張で一緒に過ごした結婚記念日が余りありませんでしたが、今年は二人とも一緒、4人の子供とミオも一緒でした。
覚えているかな、と思って、仕事の帰り、今日のご馳走を作る買い物をして帰るとパパもケーキや花やら買ってきていました!
おぼえていたのね!
というわけで、謙もうちにきて、久しぶり家族6人でアスパラガスのスモークハム包み、鮭のパイ包み、ポテトやらなにやらとザッハトルテ(といってもスウェーデン製のザッハトルテもどき)でした。

私たちが結婚式をする前日はものすごい雨でしたが、12日はからりと晴れた秋晴れの紅葉と黄色の落ち葉がとても美しい日でした。

いつまでもみんなが元気で幸せでありますように。
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by obreykov | 2010-10-13 05:29 | 徒然なる生活

2010.08.13.イヴ、お誕生日おめでとう

17年前の8月13日も金曜日でした。12日の夜、産気づいて3番目の子だったので、結構ゆとりの私は、まだまだかな、なんてのんびり母の作ってくれた肉じゃがを平らげてから病院へ出かけよう、なんてしていたら、うちから10分程度の病院へ着くまで車の中で何度か陣痛に襲われました。
病院へ着くと、なにやら入院の手続きやら色々して、シャワーを浴びるように言われ、スタスタとシャワー室に行ってのんびり浴びていたら、急に陣痛が普通でなくなったので、「ああ、もう産まれそう」というと、助産婦さんやパパが車椅子でシャワー室から運んでくれました。
分娩台は、普段は普通のベッド上になっていて、ここで、妊婦は最後の陣痛が来るまで苦しむことになっており、最後にベッドの下の部分をはずして分娩台に変身するわけですが、私の場合、そんな暇もなくベッドの状態で、イヴがポロッと産まれてしまいました。8月13日金曜日になったばかりの夜でした。
我が家では3800グラム、51センチという一番ジャンボベイビーでした。
これだけ大きいとしわくちゃの赤ちゃんというイメージはなく、しっかりした赤ん坊でした。
しかも、産後も良かったので、翌日13日だけ病院に泊まり、手伝いに来ていた父母や、ネディ、謙がパパと赤ちゃんを見に来て、14日には退院をしたので、父と母もとてもびっくりしていました。

それが17年前のことでした。

昨日は、謙がイヴへ誕生日プレゼントを私と一緒にするということで、仕事の後やってきました。
謙は、数ヶ月前、元カノ(その辺が私には理解できない)と1ヶ月部屋をシェアする、と出て行き、その後はアメリカから戻ってきているヨンと部屋をシェアして、現在うちに寝泊りしていません。

謙はうちで一番稼いでいるはずなのに、一番貧乏です。
なぜなら、すぐに洋服やら旅行やらに消えてしまうからです。
iPhoneが出た当時、すぐにアメリカから買って使っていたのですが、今、新しいヴァージョンが出て、発売と同時に購入したとのこと。そのため、携帯番号も変わり、契約解除の差額とやらを私が払うなら、ふるいiPhoneを売らずにイヴに誕生プレゼントとしてあげる、というのです。
なんだかややこしい話ですが、とにかく、パリに行くためお金が必要で、古いほうを売ろうとしていたので、ちょうどイヴとニッキィの携帯が壊れたところだったので、売らないで、とストップをかけたのでした。

お古とは言ってもまだまだ新っぽいiPhoneです。一日早い誕生プレゼントでしたが、イヴは天にも昇る喜びでした。

私は、久しぶり掃除機をかけて拭き掃除をしたら、頭がくらくらしてきたので、午後、昼寝をして降りました。なんだかエンジンがかからないので、夜ご飯も子供たちに頼んで、久しぶり温かい一日だったので、外に食卓を作ってミオと遊びながら夕食を待ちました。
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by obreykov | 2010-08-13 18:22 | 徒然なる生活

2010.07.04. 義母と祖父の命日

7月2日は私の知らない義母の命日でした。今年はブルガリアに行かなかったので、お墓参りもできませんでしたが、ネディも1日にスウェーデンに戻ってきたため、お墓参りはパパだけでいったのかな、と思います。

そして7月4日は父方の祖父の命日です。とはいっても、私は具合の悪くなった祖父を見ていないので、いまだになくなったという実感がないというのが本音です。なんだか、熊本に行ったらニコニコしている祖父が出てくるような気がしてなりません。
私は東京に住んでいたので、私がとても好きだった叔母も同じことです。急な白血病であっという間になくなってしまったのですが、弱っている姿を見ていないためか、まだ熊本へ行けば「来てたの?」とニコニコ現れるような感じがします。
でも、その祖父が住んでいた戦争でも焼けなかった素敵な中庭に池のあるトイレがちょっと廊下の向こうで怖かった、祖母が火鉢で餡子などを煮ていた土間のある家はもうとっくにありません。
スウェーデンでは古い家などとても大切に保護したりしておりますが、日本はなぜ取り壊してしまうのでしょう。
祖父が納得して家を解体したそうですが、やっぱりあの家がなくなったのはショックだったろうと思います。
それが原因とは思いませんが、その後、倒れて具合が悪くなってしまったのが私は残念に思います。

さて、1日にネディが戻り、4日には音楽フェスティヴァルに行っていたイヴも真っ黒に日焼けをして戻ってきました。
仕事のあった謙は今年は土日に行きましたが、日曜日の朝方戻ったようでした。

イヴは物凄く感激して、大喜びで戻ってきました。
ホッケーの大きなリュックサックにパンパンに食べ物から何から詰め込んでやっとの思いで背負えるほど大荷物で出かけていきましたが、帰りはかなり軽くなっていました。
フェスティヴァルのキャンプ場では沢山の友人たちとも会ったようですし、またあちらで友達になった人も沢山いたようでした。
スウェーデン中からの若者から年寄りまで集まっていたらしく、影響されやすいイヴはすっかりしゃべり方がにわかスコンスカ(南スウェーデンのスコーネ地方のかなりわかりずらい方言)になってしまったようです。
私も結構そんなものの影響を受けやすいタイプで、住んだ事もないのに、現在実家のある熊本へ行くと熊本弁がでてくるから不思議です。
その割には、どうしてもスウェーデン語の発音(英語も含めて)RとLの区別がちゃんとできないのはどうしてだろう。。。

というわけで、夕食にはイヴにバーベキューの火をおこしてもらい、串焼きのバーベキューとブルガリアのヨーグルトときゅうりのスープ(タラトール)新じゃがのゆでたもの、野菜サラダ、そして最後に焼きとうもろこしと取り立てのイチゴ、という豪華食でした。
イヴはキャンプ場でろくにシャワーも浴びず、爪は伸び放題で汚れて、しかも、ちゃんとした食事をせずに栄養がかたより、やっと人間らしくなったと言っておりました。

まあ、準備から何から一人でやって、友人たちとテント生活をし、音楽三昧で本当に良い経験ができたと思います。
車で出かけた謙も無事戻ってきて、やれやれというところです。

遊びに夢中になると呼んでも全く来ようとしないミオに夢中なときもちゃんと呼ばれたらくるように庭でいろいろトレーニングをしました。
夜の散歩でも自分中心になっているとき、呼びかけてこちらの支持に従うようにあれこれとトレーニングしました。
ある意味、先代のミミは元の飼い主が亡くなって居場所がなくなり、飼い主の子供の家庭にあまり歓迎されずに引き取られていたということもあってか、家の中でもわたしがうっとうしく感じるくらい私について歩いて降りました。ほんと、ちょっと何かをしに私が家の中を移動しようとすると、そのたびについてまわっていました。
きっと、またどこかにいってしまうかも、って心配だったのでしょう。
赤ちゃんのときから恵まれて愛情一杯に育っているミオは、その分、危機感がないのか、私がいなくても全く平気という感じがあります。
でも、近くの犬を放せる犬専用の遊び場で、放して、ミオが何かに夢中になっているときに大きな木の陰に隠れたら、私がいないことに気がついて走ってきました。木を利用してぐるりと回ってまだ隠れていたら、かなり必死になって走り回って探していたので、ミオも私がいなくなるのはやっぱりいやなのかということがわかり変に安心しました。

この頃、私の意志とは関係のない広告が下記のように入ったり入らなかったり。。。これって、いったい何なのでしょう。
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by Obreykov | 2010-07-05 21:05 | 徒然なる生活