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2005.08.27 眠りの森の美女

本格的なピアノ伴奏の仕事が始まって、結構生活に潤いが出てきた感じがします。人間はやっぱり休みばかりでは駄目、仕事ばかりでも駄目。どちらも大切だと感じます。
木曜日は日本人補習学校の運営委員会があったので、ニッキィをスケート場においた足で、ストックホルム中心地に車を走らせました。いつになく渋滞が早く始まっていて、駐車するところもなかなか見つかりませんでした。委員の友人と事務所の傍の日本の店JFKにちょっとしたお食事コーナーができているので、そこでお寿司を頂くのが唯一の楽しみのひとつとなっています。

今回こそは書記はしない、と自分に言い聞かせていったのに、誰もしてくれる人がいないと、気がついたときにはついつい口が書記をしますと言っている自分にあきれてしまいます。でも、PCももっていっていたので、メモを取らずにそのまま打ち込んでいったので楽でした。
帰宅してから(午前様にならずに良かった)頭がフレッシュなうちに議事録を体裁よく整理して、議事録審査の二人に送ってから寝たら、1時を過ぎてしまいました。

冬ソナの寝不足から、議事録の寝不足で今日は久しぶり何もなかったので、日本の本屋さんサンアイOCSで買ってきたオレンジページを見ながら昼寝をしようと楽しみに帰宅しました。
自分で眠りの森の美女になったかと思うほどぐっすりとたっぷり寝てしまい、パパが久しぶり料理してくれたギュベッチというブルガリアの煮込み料理を食べるから、とイヴがおこしに来てもなかなか目がさめてくれない状態でした。

本当は今日は謙がホッケーの練習、そして先週はじめた日本人会のテニスクラブがあったはずなのですが、幸か不幸か先日のホッケーの試合のとき、少し足を痛めてしまったので、運動ができないのです。何も予定のない土曜日なんて本当に久しぶりで、ニッキィが友達と遊びたいと行っていたのですが、迎えにもいけないし、うちで面倒も見れない、と可哀想棚とは思いましたが、断りました。
近所の友達が来てニッキィも遊んでいたので、まあ、いいか、と思いました。
こんなに昼寝をしてしまって、夜眠れるかなと思いますが、今すぐにでも寝られる気分なので、心配なさそうです。

夕方、近所に住む謙のクラスメート二人のハンナとファビオラがミミちゃんを散歩させたいと来たそうで、随分永い散歩をしてもらったそうです。
今は、近所に住む半分日本人の謙の友達が遊びにきているようなので、彼が帰る時に一緒に送りが寺散歩をしてもらおうと思っています。本当に疲れがどっと出てきたようで、何にもしたくない気分です。
この友達は本当はネディと同じ年なのですが、謙のところによく来ています。謙は本当に友達が多くて、年齢、学校、地域、の枠を超えて100人以上は友達がいるのではないかと思います。これはパパ似なのでしょうか。
でも友達は本当に大切なものだと思います。
私も色々なところに色々な歳のそれぞれ色々な趣味の違った友達がたくさんいます。高校のときの友人が今回ストックホルムに遊びに来るので、本当に楽しみです。あと2週間で会えるかと思うと家の中もまだ片付かないけれど。。。
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by obreykov | 2005-08-28 06:20

2005.08.24 この頃家事がちっともはかどらないわけ

日記の更新もせず、家事がはかどらないのは何も今日に始まったことではありませんが、この数日、実に何もはかどらず、掃除をしたのも昨日やっと、なんとか料理をして食事はしているけれど、という状態です。それはなぜかというと、土曜日にテニスに連れて行ったとき、祐馬くんのお父さんから“冬のソナタ”のDVDを借りてきてしまったから。
日本でチラッとテレビで見たときは続き物だったし、何がなんだかわからず、何で皆がこんなにも騒ぐのだろうと不思議なくらいでした。でも、それを見始めたらやめられなくなってしまったのです。
テレビはどの部屋のもパパや子供達に占領されているので、イヴのDVDプレーヤーを借りてキッチンの小さなテレビにつないで、一人で見ました。
出てくる人みんな、繊細な普通のタイプの美男美女という感じで、話もとってもゆっくりで、恋愛もヨーロッパや日本で見るものと全くちがった感じで、現実味を感じませんが、どうしても全部見ないわけには行かないような感じでした。
どんなドラマ(日本の)を見てもすぐに涙を流す私ですが、不思議なことに日本中が泣いたこのドラマで涙を流すシーンがあまりなかったのでした。どうしてだろう。
それにしても、出ている人たちは本当に綺麗な涙を流していて、びっくりしました。確かこの国だったかな、お隣りの中国だったかな、お葬式のときに泣く役をする仕事があるとどこかで聞いた事があるけれど、これは本当のことかどうか、でもこのドラマを見ていて、こんなに綺麗な涙を流して、鼻も出ないで、目も真っ赤にならない人たち、これって、人種が違うのかな、と思ってしまいました。
木曜日から仕事が始まるので、それまでにこのとてつもなくながーいドラマを見てしまわないと、と徹夜もしながら、家事もほったらかして見ました。やっと見終わったので、こうして溜め込んだ日記を書いているところです。
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by obreykov | 2005-08-24 17:10

2005.08.22 スケートのテスト合格

ニッキィはスケートのテストがありました。日本で言うバッチテストというのでしょうけれど、日本の基準とアメリカの基準とスウェーデンの基準は別々のもので、どうなっているのかサッパリ分かりません。兎に角ニッキィはスウェーデンのテストのうちベーシックテスト2というのを受けたのですが、無事に合格しました。一緒にうけたオリビアもベーシックテスト1を取れ、ニッキィと同じ2を受けたサンナは落ちてしまい泣いていて本当に可哀想でした。ニッキィが他の選手のを見たいといっていたのですが、ネディたちを迎えに行かなくてはならないので、帰りました。すると、車がスタートしない上、コードはフォードの方に積んでいたので、パパにフォードで来てもらいました。フォードはオートマチックなので、なんとか足の痛いパパも運転できるので良かったのです。コードでつないでスタートできましたが、もうバッテリーが古くなっているようで充電したけれど買い換えなくてはならないようです。

ニッキィとロニア(ママがなんと日本人!御両親の仕事の都合でスウェーデンに来て、御両親が帰国してもこちらで勉強を続け、そのままここの人と結婚してしまった、という方で、スケートクラブのバレエの先生もしていて、スケートの衣装など縫うのも速くて上手なスーパーウーマン)がテストのおかげでひとつ上のクラスで競技会に出ることになったし、練習も多くなるし、ストックホルムスケート協会のプロジェクトの参加も多くなるし、なんだか見えないものに舵を取られているような気分になってきました。トレーナーの期待も大きいし、楽しい、だけではやっていられないぞ、と思いました。頑張れ、ニッキィ!
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by obreykov | 2005-08-24 16:53

2005.08.18 とうとう夏休みも終わり

イヴは一足先に18日に始業式でした。次の日は2泊3日の予定でネディが6年生のとき行った島にクラスで旅行に行きました。ネディが使った旅行用のリュックサックを持っていきました。その時作った照る照る坊主がリュックに付いたままで懐かしく思いました。
ロベルトのパパがどうせ仕事場に行くときの通り道だからと、朝5時半に出発して集合場所まで送っていってくれました。日曜日にヨフコがブルガリアから痛風の痛み止めを持ってきてくれた友人の家にその薬をとりに行くついでにロベルトとイヴを迎えに行きました。
あまり寝ていなかったのか、くたびれ果てて帰ってきましたが、とても楽しかったようです。ネディとちがってカメラも持っていきたがらなかったので、様子は知ることができませんが。

日本人学校も20日から始まりました。イヴとニッキィの担任の先生がおやめになり、新しい先生になったので、宿題もいまひとつ、力が入らなくて、また、いつも手伝ってくれた祖父母が今年の夏はこなかったのもあって、全部仕上がりませんでした。親もなんだか宿題をしなさいと追いかけるのに疲れてしまった、というのもあります。日本で子育てをしなくて本当に助かったと思います。でも、日本の子供は親が手伝わなくてもちゃんとできるのかな。。。
私は久しぶり、日本人学校のお母さん方と喫茶店で楽しいひと時を過ごしました。

学校が終わると慌てて帰宅して、謙はホッケーの練習に向かいました。かなり練習がきつかったようで、くたくたになっていました。アイスのトレーニングの前にするオフアイスのトレーニングで、スケート場の傍の教会に続くかなり大きい階段を何度も往復させられたようでした。これだけ運動すれば太れないわけだと思います。
こんなに疲れていたのに、日本人会のテニスクラブというのに夏休み前少し試しに親友の祐馬くんとそのお父さんに連れて行っていただいて、味を占めてしまい、また行くというのです。毎回毎回連れて行っていただくわけにも行かないし、会費の支払いもあるだろうし、どんなところでどんな練習をするのか私もちょっと興味津々だったので、私が連れて行きました。
8時から11時まで自由にそれぞれが練習をするのですが、はじめは祐馬くんのお父さんが祐馬くんと謙を次々に練習させてくれました。祐馬くんのお父さんはかなり年季が入っていて、息切れもせず、いろいろな方法で特訓してくださいました。
その後は祐馬くんと謙が二人で練習をしてお父さんは大人の会員の方と打ち合いをしていましたが、さすが、ボールの当たる音が違っていました。
見ているほうは、いやでも首が右に左にと動いてしまって、気がつくとかなり良い首の運動をしたな、と言う感じがしました。でもスケート場のように寒くないのは良いな、と思いました。でも、謙もこれから物理的に通いきれるのかな、と思ってしまいます。
ただ、大好きな祐馬くんと共通のスポーツを見つけたことはとても嬉しいようでした。
祐馬くんは2年ほどやっていて年季が入っているそうで、さすが上手でした。謙も2,3回目にしては、まあまあかな、という感じでしたが、ホッケーの影響でか、なぜかバックハンドが上手でした。
見ているとなんだか簡単そうなので、ちょっと私にもやらせて、とつい言ってしまい、祐馬くんに相手を頼みました。すると私が学校時代にやらされたソフトテニスとは全く違って、また、あのころのエネルギーももう無いのも手伝って、ボールが当たればよいほうで、当たったら当たったで、ずしんと腕に繰るし、何球もしてないうちに今度は心臓が口から飛び出そうになってきたので、賞味3分もしていないくらいで止めました。。。

22日から謙とニッキィの学校が始まりました。ニッキィの学校には私もついていきました。ニッキィの学校は今までの学校で、去年は4年まで、そして今年は5年までの学校になったため、ニッキィがぼく達は一度も最高学年になったことない、と言っていました。
校長先生が定年退職したので、新しい校長先生がクラスに挨拶に見えました。私のヴァイオリンの仕事場であるエークバッカスコーランの校長だった方がニッキィの学校の校長になったので、二人で目を合わせ、小さく手を振りました。とっても良い先生なので、私は大喜びです。
ネディは23日から学校が始まりました。かなり忙しい時間割のようです。
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by obreykov | 2005-08-24 16:46

2005.08.15 仕事始め

8月15日からは仕事始めです。なんだかかえってはつらつとした感じがするので、やはり人間には仕事と休みというのは両方とも大事なものなんだと思いました。
久しぶり会う仕事仲間との昼食も楽しいし、この週は音楽学校が使っていた、以前謙たちの通っていた学校が閉鎖されて、建物を壊すことになったため、少し先の高校の建物に引っ越すことになったのです。そのため、この週の仕事というのは引越しと指導計画でした。
みんな音楽家なのに、重い楽器を運んだり、楽譜を運んだり、挙句の果てにはカーテンをつるしたり、と、まるで音楽とはかけ離れた仕事でした。こんなこと音大では教えてくれなかった、と冗談を言い合いながらしましたが、結構、頭を使わずに力仕事をするのも気分爽快でした。とはいっても疲れた。。。
そんなわけで9時から16時まで仕事だったため、ニッキィのスケートの集中練習は、謙がバイクで送り迎えをしました。ニッキィは大喜び。
スケート場がすぐ近くなので、帰りに寄ってみると、いろんな人にニッキィが大きなヘルメットかぶってバイクで来たよ、カッコよかったよ、と声をかけられました。
ニッキィのスケート靴の状態は最高のようで、トレーニング日記にも、ヨハンはとても優しくて、スケートをとても履き心地良くしてくれた、などと書いていたようです。
夜はネディたちのシンクロナイズドスケーティングの練習なので、交代で送り迎えしました。
また、そろそろ父母会の時期も始まり、火曜日は謙のホッケーの父母会(いつものようにほとんどパパなのに、三、四人だけママでした。)水曜日はシンクロナイズドスケーティングの父母会、こちらは、パパママ半々くらいでした。ホッケーでは秋休みを利用してチェコへいくことになっています。
シンクロナイズでは、海外での競技会も予定されています。ただし、シンクロナイズはチームワークなので、病気以外の欠席は1回しか認められず、スケート場も地元ではないので、物理的に通いきれるのか、という心配があります。金曜日までに続けるかどうするかの結論を出すことになっているようです。
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by obreykov | 2005-08-24 16:45

2005.08.13 イヴの誕生日

8月13日はイヴの誕生日でした。12年前の12日の夜遅くに陣痛がきて、深夜に病院に向かいました。まだまだ、と思っていたのですが、病院でシャワーを浴びている間にほとんど産まれそうになってしまい、車椅子で分娩室に運ばれて、ベッドを分娩台にしなおす暇も無く13日になったとたんイヴが産まれてしまいました。
うちの子供達の中では一番大きいジャンボベービーで3800グラムもした元気な赤ちゃんでした。3歳まできちんとお話ができない子でしたが、父がこの子は大きくなるぞ、と、イヴの豪快な食べ方を見ては言っていましたが、今は一番細っこい、食事にはあまり興味の無い子です。でも、性格は一番優しいのではないかと思います。
謙が産まれた時は二人も子供を育てられるのかしら、ととても不安になったり、手伝いに来ていた父と母が帰国していったら、パニックのような感じになったりしていましたが、イヴが産まれた時は、あまり大変さを感じませんでした。もう12年も前の話です。。。
子供達の誕生日が来る毎に、五体満足で産まれて、元気に育ってくれて本当に良かったと思います。
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by obreykov | 2005-08-24 16:44

2005.08.12 首の回らないわけ

この二、三日 随分腕の痛みが取れて、だましだまし家事をしたり、車の運転をしたりしています。でも首が回らない感じがするのはどうしてかと思っていたら、原因がわかりました。
それはニッキィのスケート靴です。
ニッキィが今使っている靴は私にいわせると全くサイズはぴったりで、申し分ないのですが、トレーナーにいわせると、ニッキィの技術に対して靴が柔らかすぎ、ブレードももっと上級むけのものを使わないと、と言うことで、買い換えることにしたのでした。
簡単に買い換えるというけれど、その辺のスケート靴と違って、靴とブレードで、あと少しお金を足せば日本へ行く切符が買える代物です。
これじゃあ、私の首も回らなくなるはずだ、と思いました。

ニッキィの靴を取り入れてくれるはずの人がアメリカに行っていて、間に合わないので、トレーナーのカタリーナが、仕入れ下が同じなので、といって、ヨーテボリの仕入れ元に直接連絡してくれて、主にホッケーのスケートが専門のスクリースコー ヨハンというところにおろしてくれるよう頼んでくれました。
このヨハンはスケート靴にかけては専門で、足を触っただけでどのスケートがその人に合うか、すぐに分かるような人です。でも、ほとんどホッケーなので、ニッキィやネディの靴はフィギュア専門のところで買っていました。
はじめは足が締め付けられて痛くて履けないといっていましたが、ヨハンが靴を専用のオーブンのようなものの中に入れて暖めてからニッキィの足に小さい靴下の先のようなものをつけて、履かせ、彼がきつく靴紐を縛り、数分そのままで我慢させ、最後にニッキィにいつもスケート靴を履くように履いてごらん、といいました。するとニッキィの足にぴったりのスケート靴になるというわけです。それでも今まで柔らかいタイプの靴を履いていたので、随分硬くてぴったりサイズで大変なようです。でもネディも硬い靴に変えたときは大変だったけれど後でなれるともっと良くなる、とニッキィに言って聞かせ、ニッキィも少しは安心したようです。
でも、あまりにぴったりサイズなので、ニッキィが大きくなったらまた買い換えなくてはなりません。ニッキィは成長しちゃ駄目よ、と冗談を言ったら真面目な顔をして心配そうにしたので、パパがたくさん大きくなりなさい、また買えばよいのだから、と言いましたら、やっと笑顔が出ました。
とは言うものの、せめて今年一杯は履いてくれなくちゃ。
カタリーナは、昨日スクリースコー ヨハンに何度も電話をくれて、ヨハンとも何度も話してくれたので、今日はお礼の電話を入れました。カタリーナが誰よりもニッキィのスケート靴を喜んでくれており、私が、せめてクリスマスまでは履いてもらわなくちゃ、と言うと、大乗ぶ、きっとシーズン中、履けるはずよ、エルタのクラブにニッキィより小さい男の子がいて、もうすでにニッキィの靴を予約しているから、履けなくなっても良い値で売れるから安心して、と慰めてくれました。ホッケーはなんとお金のかかるスポーツと思っていたら、何よ、フィギュアもちゃんとやり始めるともっとお金がかかるじゃない、とますます首が回らなくなりそうです。

今週はネディ達がシンクロナイズド スケートの集中練習があり、私たちはストックホルムの北の方に住んでいるのですが、ストックホルムの南の端の方のテューレソーというスケート場に通っていました。行くときはカロリンのお母さんが送っていき、帰りは私が迎えに行くという方法で、ちょうど30分車を運転しなくてはなりません。ガソリンも高くなっているのに、本当に大変大変。
彼女達は4時からオフアイスのトレーニング、ダンスのトレーニングなどがあって、休む暇なく10時まで練習があります。私はいつも少し早めに迎えに行って、最後のアイスの練習を見ました。a0022183_2142749.jpg
23人のスケーターがいっせいに滑るのを見るのはシングルとは別のすばらしさがあります。ネディたちに言わせても、シングルのときより、友達が親切だし、とても楽しいようです。ただし、ジャンプなどがほとんど無いので、それが物足りないようですが、8月末になれば、本拠地のクラブの練習も始まるでしょうから。。。ただし、シンクロナイズの方はかなり厳しいようで、チームワークだから仕方が無いけれど、時間的にもやっていけるのかな、と心配になります。
でも、前もって心配しても腕が痛くなるだけなので、何も考えないようにしようと自分に言い聞かせています。
来週からはニッキィのトレーニングが始まり、ネディたちは少しだけ近くなるストーラモッセンというスケート場で練習なので、またまた送り迎えがパズルのようになりそうだぞ、と思っています。
謙が原付バイクを乗っているので、オフアイスのトレーニングにはオスカルとバイクで出かけてくれるので、私もバイクの文句を言っていたけれど謙のことを考えずにすむので、随分楽になりました。

明日はイヴの誕生日。欲の無いイヴなので、何が欲しいかも良くわからず、要求もしませんが、イヴとニッキィのコンピューターをいつも喧嘩しているので、コンピューターを買ってあげようかとパパと話しています。
昨日は洋二くんのうちに泊まりに行って、大好物の焼き鳥を洋二くんのうちのレストランで御馳走していただいたそうです。
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by obreykov | 2005-08-12 21:08

2005.08.10 病気の集まり。

ここのところ日記をかけなかったのは、かなり昔に患った左腕の痛みが再びきていたためでした。当時、これは何の病気かとうとう分からず、かなり長いこと左肩甲骨から左腕、ひじの下、最後には親指の方までのかなりな激痛で、はじめは四十肩だの五十肩だのと言われ、筋肉痛と言われ、筋肉の炎症と言われ、神経性のストレスだと言われ、とうとうなんだか分からず、どうにも日常生活もままならなくなり、ニッキィも赤ん坊で困り果てて、父と母を日本から呼び出して応援に来てもらったくらいでした。
父と母が来て安心したのか、治る時期になっていたのか、しばらくするとだんだんと良くなりちゃっかりとスキーにも行ったくらいでした。
それから、三、四同じような痛みが来ることがありましたが、かなり安静にしていたら1週間ほどでよくなっていました。
ブルガリアから帰って、いつも気になっていた食糧倉庫とうちで呼んでいる二畳ほどの部屋の片付け、洗濯室の片付け、キッチンの掃除機を入れている開き戸の中、キッチンの流しの下などを片付けていたのですが、それが原因か、またまた方から腕にかけて痛くなってきたので、もう一部屋どうしても整理したい部屋があったのですが、目をつぶってそのままにしています。
昨日は痛さの頂点に達していたようで、寝る前にやめておけばよいのに、ヨーグルトにブルーベリージャムを入れて食べたら、胃まで痛くなって、うんうんうなって床につき、なかなか眠れませんでした。こんなに痛い思いをするならいっそ死んだほうが楽だ、とさえ思いました。
上を向いても下を向いても痛みが走り、インターネットで色々見ていたら、なんだか、頚椎椎間板ヘルニアという病気ではないかと自分で診断を下し、恐ろしくなってきました。
結構私は痛みに対して我慢強い方だと思うのですが、この痛みだけはまるで腕をナイフでめった切りされているような感じで涙さえ出てくるような感じです。
今日は本当に何にも家事などせずに大事を取ろうと決心して、ちょうど子供達が大好きだった日本人学校の定年退職なさった先生からコスモノーヴァという博物館にある立体映画を見に行くようにお誘いがあったので、本当にそれだけをすることにしました。
久しぶり、先生にお会いしたり、すばらしいナイル河の旅行を立体映画で体験して、私のこの悪魔のような腕の痛みも今日は随分と少なくなっています。今日はパンだけ焼いて、ここもたちが焼き鳥を食べたいというので、小さくきった鶏肉を焼き鳥のたれというので、まぶして簡単料理で済ませようと思っています。
人間、どこか1箇所でも痛いところがあると本当に何もできなくなってしまいます。私なんかよりももっと重病人もいるのですが、自分が悲劇の真只中にいるような気分になってしまいます。
健康第一です。

スウェーデンは医学は発達しているのですが、このように個人的な小さな病気の場合はどうも医療機関がいまひとつでイライラします。
旦那様もここの病院に行ったら、23日に来るようにということで、受付で帰されてしまい、そんなことしているうちに治ってしまうか、手遅れになるか、と言ったが笑って帰されたといっていました。
その点日本やブルガリアではすぐに診てくれるし、検査もしてくれるし、だからといって病気が速く治る問題ではないかも知れ枚けれど、せめて患者の安心感は得られます。
特に小さい子供がいて病気になった場合、普通の風邪でも日本のように町医者がこれは今流行っている風邪で、高熱が出ますよ、とか言ってくれるだけでも安心します。
ただし、ニッキィが赤ん坊のとき、ストレプトコッキというバクテリアのアレルギー反応らしく、紫斑病になったときは救急病院にいくといつもは平気で5時間も6時間も待たされるのに、すぐに診てくれて、検査も救急車で血液などを研究所に運んでみてくれたり、親子で即入院をさせたりとさすがスウェーデン医学、と感心しました。
ニッキィもその後元気になって本当にありがたいと健康を天に感謝したくなりますが、痛みなどがあるとすぐに天をうらみたくなるこのわがままな私。。。
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by obreykov | 2005-08-11 01:18

2005.08.04 ブルガリア旅行記 その3

1週間の予定の黒海も、パパの思いがけない“痛風”で、急きょ5日目でプロヴディフに帰る事にしました。
その日はゆっくり夕方からショッピングをしようと思っていたのに、急な出発になったため、早朝7時前に海水浴をして、朝食後、出発の準備をしてからショッピングに出かけました。
早朝の海は太陽もあまりきつくなく、本当に最高でした。何で、今まで朝食後から夕方の、一番暑い時間帯に海に出ていたのかと思いました。私なんて、何でこんな暑い思いをしてパラソルの下で我慢していなくてはならないのだろう、と悲しくなっていたくらいです。子供は元気ですし、日焼けもしたいから、大喜びでしたが、私は日焼けもしたくないのに、子供よりもこんがりと焼けちゃったり、子供がいないなら海なんて絶対行かないのに、と思っていました。
a0022183_2046126.jpgプロヴディフについてから、パパのお姉さん家族と近くのレストランに食事に行きました。ブルガリアのレストランは家で材料を用意して作っているよりずっと安上がりです。私はほとんど家で料理をせず、ブルガリアレストランや中華レストランで食事をしていました。朝食のみ、美味しい焼きたてのパンを買ってきてルカンカというサラミのようなもので食べるのが最高です。
a0022183_20465577.jpgブルガリアについていつもはまずお墓参りをするのですが今回は旅行をしてしまって家に直接行かなかったので、お墓参りが後回しになってしまいました。海に行く前に行こうといいつつもなんだか、そのままになって気になっていました。
私は、お墓参りをしなかったので、パパの足が痛くなったのではないか、とさえ思いました。
まずは子供達の祖父母のお墓にお参りをして、パパの親戚のお墓もお参りしました。
a0022183_20472271.jpg最後にパパのお姉さんの御主人のお墓です。彼は子供達も大好きだったし、去年ブルガリアに行かなかったので、墓石を見るのは初めてでした。このお墓の周りはこの前おまいりしたときはほとんど空き地状態だったのに今年はお墓でびっしりで、こんなにいろいろな人が亡くなったのかと、改めて健康であることを感謝したくなりました
別荘にある胡桃の木のうち一番美味しい胡桃の木がとうとう枯れてしまったそうですが、このおじさんが私の両親がブルガリアに行ったとき一生懸命胡桃の実を採ってくれて、父が熊本の庭に胡桃の実から大きな胡桃の木に育て上げました。このおじさんが亡くなったころからやっと熊本の胡桃の木に実がなるようになりました。なんだかボリスラフが熊本の庭に遊びに来ている感じがしました。
a0022183_2165520.jpgここは従兄弟達勢ぞろいです。もう一人の従兄弟はソフィアにいるので、ここにはいません。
従姉妹の娘のミミちゃんがこの頃は謙やネディが大きくなって話も良く通じるので若者の話をすることができてとても楽しいといっていました。
私がお嫁に来たころはこのミミちゃんがニッキィよりも小さいくらいで、私にまとわりついていたのに、月日のたつのは本当に速いと実感します。時計が速く動いているのではないかと思ってしまうくらいです。スウェーデンに帰ってからももう6日。。。
a0022183_2174022.jpgうちに犬のミミちゃんが来てしばらくしたころ、偶然にもブルガリアでもゴールデンレトリバーを飼う様になりました。この犬はオスでミミちゃんより年下ですが、全く吼えず、猫のような犬です。これでは全く番犬にはなりません。ミミちゃんは嬉しいとき、寂しいとき、喜怒哀楽がとっても豊かで、吼えるし、鼻を鳴らすし、本当に表情豊かですが、このゴールディは、本当に嬉しいのか悲しいのかサッパリ分からないくらいです。でも優しさは抜群のようで、ニッキィさえ引っ張られずに散歩に行けた様です。
謙のスウェーデンの友達のオスカルはミミちゃんが苦手ですが、謙と一緒にブルガリアに言ったときはミミちゃんより体の大きなゴールディは、吼えないので怖くなかったといっていました。
ミミちゃんは吼えすぎかもしれませんが、私にとっては番犬の役目をよーく果たしてくれるので最高です。

日本人学校の宿題も沢山あるのに、あまり手がついていません。
イヴは洋二くんのお宅に泊まりに行って、今日まで泊めていただくようだし、謙は祐馬くんが泊まりに来ていてなんだか夜遅くまで二人で起きていたようです。宿題は?ときくと、え、そんなの無いんじゃない?と二人で言っています。そんなはずは無いのですが。。。
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by obreykov | 2005-08-04 21:24

2005.08.02 ブルガリア旅行記 その2 黒海

1週間ほど旦那様の里、日本で言う京都のような昔の首都だったプロヴディフという街の我が家に滞在しました。子供達は親戚のお姉さんミミにいろいろなところに連れて行ってもらったり、私も家でのんびり読書をしたり、開け放した窓からのそよ風を受けながらうたた寝をしたりと、信じられないくらいぐうたらな生活を染ました。
a0022183_0481265.jpgそして、我が家6人と子供達の従姉妹の旦那様のクンチョとで、黒海のサニービーチという海水浴場に1週間の予定で車で向かいました。クンチョの車にネディと謙が乗り、私たちは運転を交代しつつ行きましたが、交通規則があってないようなブルガリアなので、すっかりくたびれてしまい、私はほんの数分しか運転しませんでした。ホテルはクンチョの友人の物なので、海辺ではありませんでしたが、海まで歩いても5,6分で着くし、謙の大好きなバザール(ブランド商品の多い市場)のすぐ裏手で、まあまあでした。今までは数年間、サニービーチのすぐ傍のネセバルという日本で言う江ノ島のようなところにいっていたのですが、ちょっと今年はリッチに過ごしたわけです。a0022183_0594546.jpga0022183_101964.jpg
急に日焼けをして去年の日本での苦しみを味わいたくないといってニッキィとイヴは砂に埋もれていました。謙は日本のTシャツを来て、祭りの手ぬぐいをしているので、日本の夏を懐かしく思い出しました。
我が家のパパは1日海に来て海辺を散歩しました。夜は皆でサニービーチのナイトライフを味わいつつ何時間にも及ぶ散歩をしました。私たちもすっかり足がくたびれてバタンキューと寝ましたが、パパは足が痛くて眠れなかったようです。翌日見ると親指の付け根が赤く腫れてびっこをひくほど痛がっているのです。毒のある海蛇やら、毒虫にでも刺されたかとも心配しましたが、刺された痕もありません。
ちょうどスウェーデンで整形外科医をしている友人がプロヴディフにきていたので、電話してみると“王様の病気”に間違いないといって、薬を薬局で買うように指示されました。
この“王様の病気”とは一体なんだ、と思っていたら、電話で両親と話した際、父が痛風だ、食べ過ぎと運動不足がいけないよ、といいました。
プロヴディフに戻ってからインターネットで痛風を検索してみたら、本当に全くそのままの症状が出ていたので、原因がわかって少し安心しました。
a0022183_3273569.jpgいつも泊まっていたブルガリアの江ノ島、ネセバルには子供達と私だけでバスで行きました。
毎年泊まっていたところなので、懐かしさで一杯でしたが、楽しみにしていたバザール(市場)のほとんどが駐車場になってしまっており、がっかりしました。
でも旧市街はほとんどそのままで、夜の散歩などを懐かしく思い出しました。
a0022183_3302938.jpg車があればいつも泊まっていたところにも行ってみたかったのですが、徒歩ではあまりに暑すぎてめげてしまいました。
買い物はサニービーチですることにして、ネセバルを後にしました。
ブルガリアにはコピーのものや、ブルガリアで作らせているブランド商品のちょっと2流品がフランスやイタリアや日本などの市場に出ず、ブルガリアで処理されるものやらが本当にうそのような値段で売っています。上手に買い物をすれば本当に安く良いものが買えるのですが、気をつけないと本当に変なものを買ってしまいます。
ニッキィはゲームボーイのソフトを半額程度で買いましたが、こんなことって良いのかな、と思いました。
スウェーデンのブランドのトレーナーも半額以下で売っていましたが、中にはオリジナルではなく全くのコピーというものもあり、スウェーデン人が喜んで買っている中で、一人のスウェーデン人は随分憤慨している様子でした。
謙もGショックの時計を買おうとしていましたが、あまりにコピー品だというのがよくわかる中国製だったので、やめていました。
謙はジーンズのロールスロイスと呼ばれているジーンズを見つけた!と大騒ぎしてジーンズにしては比較的高価な値段で買っていました。日本製なのか、えびすジーンズといって恵比寿さまの顔の周りにやすいべえと書いてあります。
結構素敵なトレーナーを子供達が買うことができてよかった、よかった。。。
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by obreykov | 2005-08-03 03:43