「ほっ」と。キャンペーン

<   2005年 11月 ( 10 )   > この月の画像一覧

2005.11.30 遅ればせながら第一アドヴェント

a0022183_1711341.gifスウェーデンではクリスマスを待つという意味で、4週間前から4本のロウソクを立てて、クリスマス4週間前には1本に灯をともします。それは数日前の日曜日だったのですが、何しろこの忙しさ。ゆっくりそんな飾り付けをする暇がなかったのが我家です。
イヴがロウソクたてを探して、せめてこの飾りつけでもしようとしてくれていたのに、忙しさにかまけて相手にもしてあげず、可哀想なことをした、と反省。。。
とても心の優しいこなのに、忙しくてゆっくり家にいる暇もなく、数分するとまた飛び出していかなくてはならない状態で、ゆっくりとクリスマス前の飾りつけなど考えている暇がありませんでした。そして夜は夫婦で呼ばれて子供をおいて出かけてしまい、夜中に戻ってみるとイヴが飾りたかったロウソクがテーブルの上に4本おいてありました。
昨日はニッキィをスケート場において、ネディの荷物を駅で渡す時間まで小1時間あったので、イヴと久しぶりにショッピングをしました。そこで、ちょっとすてきなロウソクたてをなんと半額で売っていたので、二人で選んで買いました。
サフランの入っているルセブーレという菓子パンも買いました。イヴがどうして内で作らないの?とききました。そう、以前はこの時期になると子供達4人とこの菓子パンをたくさん焼いたものでした。どうしてこんなにも心のゆとりのない生活になってしまったのでしょう。
忙しくて忙しくて、ゆっくり家族でおしゃべりすることもなくなってしまいました。
こんなことではいけないぞ、と思う今日この頃です。
[PR]
by obreykov | 2005-11-30 17:23

2005.11.29 優雅なスポーツと野蛮なスポーツ

ニッキィを含むクラブの数人がスケート場の開幕式に呼ばれてデモンストレーションをしました。
まずはストックホルム中心地には数少ないスケート場の一つで、オリンピック競技上の裏にある屋外スケート場にホッケーをしている子供のいる金持ち家族、二家族がお金を出し合って、テントのようなものを張り、屋内スケート場にしたところの開幕でした。
さすがにテントのようなもので、寒くて死にそうでした。特にその日は寒くて、外も中も凍えそうなくらい寒く、更衣室も掘っ立て小屋のようなもので、震えてしまいました。ニッキィとオリビアとローロがうちのクラブからの出場で、謙と同じ年のミッケも滑りました。国際大会に出ているアマンダとイサベルの双子の姉妹も来ることになっていたので、楽しみだったのですが、二人は登場しませんでした。

次の開幕式は、ストックホルムのチボリ公園と言われているグリョナ ルンドという後楽園のようなところでした。ここは冬の間は閉園しているのですが、今年は週末だけ開けて、クリスマスのものを売ったりすることになっています。そしてダンスステージに氷を張ってスケート場にしました。
ニッキィとローロはプログラムをちょっと変えて、いつものスケート場の3分の1くらいのスペースで滑り、ペールとロニアが、ウップランズヴェースビー クラブのステファンとエマの4人でペアを滑りました。
スウェーデンではあまりペアが盛んではありませんが、とっても可愛らしくインスタントに作ったペアとはいってもずいぶん息があっていて、これからも続けてもらいたいと思います。本人達も楽しかったようです。
ニッキィはぎりぎりまで練習のとき、ちゃんとできるのかな、と心配でしたが、本番になるとなんとか小さなリンクでもこなして滑っていました。
何よりもすごかったのは、スケート場のテープカットをニッキィがしたのでした。
その日はマスコミと招待客だけでしたが、その日の夜のニュースでニッキィが滑っているところがチラッと写りました。
その後、気がついた人には、ニッキィがテレビに出ていたのでは?といわれました。

終わってからは、遊園地の乗り物に乗り放題だったので、小さなスケーターたちは大喜びで乗りまくっていました。
寒い寒い日だったので、アンとペールとニッキィと私の4人はレストランで豪華に食事をしました。トレーナーのカタリーナの家族も食事をしており、いろいろ話しました。
ニッキィは週末に大会があって、2つの大会のどちらに出るか、ということだったのですが、ストックホルムカップの方は、15歳のグループと一緒に対戦することになっており、カタリーナがいつも大きい子を相手ではつまらないから、とウプサーラの大会にも申し込んでおりました。そこではニッキィのレベルの選手がいないので、カタリーナが女子と競技させて欲しいと頼んでいたのでした。
でも結局ニッキィも疲れているし、今回の大会は見送ることにしようと話しました。
そうして本当に正解でした。
日本人学校にも早退などなく、きちんと行けましたし、気分的にもゆっくりできました。
そして、ペールたちと日曜日にはクラブの選手の応援に行きました。

謙もホッケーで忙しく、先週はかなり遠いところに試合に行きました。一つ目の試合では7対4でバックの謙もゴールをしてよい試合が出来ました。
ところがネディが良く練習をしているトゥンバというところでの試合は散々でした。11対1でぼろ負け!
その上謙は最後の数分で膝を痛め、出場不可能になりました。でも、良かったのは最後の2分というところで喧嘩が始まり、相手が始めた事だったのですが、こちらも応援?に数人が駆けつけ、終いにはキーパーがボカボカボカとやってしまったので、退場!でも代わりのキーパーがいたから良かったのですが、その最後の2分で相手にゴールされてしまいました。
後で、どうしてこんなことになったのか、と謙にきくと、いや、ただ楽しいから、なんて答えるのであきれてしまいました。なぜキーパーがアンナに怒ったのか、と聞くと、さあ、なんていって、でも更衣室にニヤッて笑いながら入ってきたから楽しいからやったんじゃないの?!なんて言っています。
ああなんて野蛮なスポーツ!

昨日は仕事が休みだったので、ちょっと朝寝をしようと思ったら、なんと次の目覚めは11時だったのでびっくりしました。
結局、洗濯におわれ、掃除まで行きませんでした。

昨日は朝から一日粉雪が降り続き、すっかり銀世界になってしまいました。子供もミミちゃんも大喜び。でも車の運転をする私はついに来たか、といやな感じ。。。
案の定、まだ冬タイヤに変えていない会社の車を運転しているパパがうちの道に入るところがちょっとした坂になっていて、私がネディとニッキィを送っていこうとしているところに、スリップしてしまい立ち往生しているのを発見!
なんだ、さすがのパパもこの雪で、夏のタイヤではやられたか、と思っているうちに近所のパパ達2人も出てきて手伝ってくれ、なんとか切り抜けました。家に戻ってくるときパパの車はすぐ傍の幼稚園のパーキングにとめてあるのを見ました。
私たちの道に入るところはほんの少しだけど上り坂になっています。これが、くせもので、ちょっと勢いをつけて、でもつけすぎると回転するからそこのところは適度に勢いをつけないと登れません。めったに車の通る道ではありませんが時々来るので、雪道のときに上から車が来ると私はパニックです。
そしてそこをなんとか切り抜けると我家のパーキングの難関が待っています。
二つパーキングがありますが、どちらもほんの少し上り坂になっているので、どうかすると車を入れられないときがあります。頭から突っ込むのが下手な私はバックで入れたいのですが、特にベンツの方は後輪駆動なので、大変です。
車にシャベルと砂を積んでいるのはこの私です。
きれいではありますが、本当に厄介な季節がやってきました。
[PR]
by obreykov | 2005-11-29 17:27

2005.11.18 その2 日本人学校三十周年記念をおえて。

接待係の委員が、ついでに私たちのお弁当も頼んでしまおうというアイディアを出して私の家族の分もお弁当を頼んでくれたので、本当に助かりました。
いつもより早く出かけて、駐車場がなかったらどうしようと思いましたが、神様は私の見方をしてくれました。本当にラッキーというか、学校のまん前に1台分だけあいているではありませんか!
まるで私が来るのを待っていたように!
たくさんの荷物を預かっていたので、本当にラッキーでした。習字の道具、バザーで販売するビデオ、車に入りきれないほど積み込んでいたので、この場所は本当に神様が私のためにとっておいてくれたとしか考えられません。
二十周年記念のときはネディがまだ学校に入ったばかりで、私たちはお客さんの立場のように行ったのでした。今回は主催者側の立場で、本当に目が回る忙しさでした。
何度五階までの階段を上り下りしたかわかりません。
式典が始まるとやっと一息、座れた感じでした。
式典では実行委員長、運営委員長、校長の挨拶から、大使始めとする来賓の祝辞などのほか、祐馬くんと謙がまとめたパワーポイントでの三十年の歴史で始まりました。

a0022183_2030072.jpga0022183_20303857.jpg









教頭先生の台本もわかりやすく簡潔にまとめてあり、ポイントを抑えた写真を集めてくださったので、本当に良い作品になったと思いました。親ばかかもしれませんが、二人には本当に良くやったとほめてあげたい気持ちで一杯でした。
何よりも嬉しいのは二人が学校に入学する前からちょっとはにかみながら、兄弟の授業が終わるのを待ちつつ遊んでいて今ではこんなにお互いが理解できる良い友達となって二人で力をあわせて作品にしたということでした。
また、教頭先生が紹介をするときに“二人が製作した”と紹介してくださったので、いろいろな方から、良い作品でしたと声をかけていただきました。
生徒の舞台発表もなかなか良いものでした。楽器を弾いている生徒が数名いましたが、実はうちの子供達も先生に弾いてもらえないかと頼まれたとき、いやだと言ったのでした。どうしてこんなに非協力的なのかと少し悲しくなりました。

式典のあとでは、催し物をしました。この計画を立てるに当たって、教頭先生には本当にいろいろ助けていただき、大変ではあったけれど、二人で食事をしたりしながら計画して、今まで知らなかった教頭先生の良いところをたくさん知ることもできて、とてもよかったなと思いました。それにしても教頭先生も私に負けずに、自分がいないと地球が自転しなくなる、という感じで、すべての仕事を抱えていらして、健康もちょっと不安なときに、心配でなりませんでした。まあ、私もそうですが、何かに向かって気を張っているときはなんとかなるものです。その後がちょっと爆弾を抱えている感じで恐ろしいのです。。。でも二人ともその後も健康を害することなく過ごしているので、神様に感謝しなくちゃ、と思いました。
私の企画した折り紙、書道、そしてその他の昔の遊びは大盛況だったようで、いろいろな小さな失敗や、反省点はありますが、大成功と言ってよいでしょう。
たくさんの保護者や卒業生の協力も大きく、いろいろな人の支えでこれだけのものが出来たのだという満足感は大きなものでした。

ニッキィがストックホルムスケート協会のプロジェクトで、スケート場に行かなくてはならず、パパもそのときまでは留守だったので、1時間ほど席を立たなくてはならないと、委員の人に断ってはいたのですが、なんとラッキーなことに今回のプロジェクトにはグルンドテストに受かった男の子のスケーターも参加できることになっており、委員の一人の息子さんが一緒でそのパパが送っていくからニッキィも連れて行ってくれるといってくれました。
ここでも神様は私のみかたをしてくださったのだと思いました。ニッキィはもう、たくさんのスケート場を知っているし、行けばクラブは違ってももうすっかり仲良くなっているメンバーが沢山いるので、心配ありませんでした。
私は、そのまま会場に残ることができることになりました。その代わり、忙しさは頂点に達していた感じです。自分の子供とも会場を見て回ることもできず、でもそんなことに慣れっこになっているうちの子供達はそれぞれの友達達と楽しく過ごしていたようです。

すべてが終わるとニッキィを送ってくれた家族のお母さんを車に乗せて、まずはうちにもどり、謙のホッケーの道具をスケート場に置きに行き、謙にはバイクで行ってもらい、私たちはニッキィたちのいるスケート場に向かいました。
ちょうどプロジェクトが始まるところで、ニッキィの友達のペールもそして、クラブのニッキィと同じ歳の男の子、ランティンも来ていました。
ニッキィは自分のクラブから三人も男の子が参加したので、嬉しかったようです。また、いつでも一番チビのニッキィも子の日はランティンや日本人学校の男の子もいたので、ちょっと大きくなった感じでした。

パパが飛行場に到着する時間になったので、私はニッキィたちをそのままに、飛行場へ向かいました。幸い、我が家と飛行場の間のスケート場だったので、助かりました。何もかもが大忙しの私のみかたをしてくれている感じでした。
ニッキィたちの練習が終わる時間まで、ドイツにあるリーデルというスーパーが近くにできているので、そこへ行きました。シュトュットュガルトのリュプカの家の傍のスーパーとほとんど感じが似ているので、懐かしくなりました。

そして家に三人で家に戻って、それぞれの子供達も戻ってきて、家族団らんというところで、私はくたびれ果ててソファにごろりとなったまま、眠ってしまいました。
夕食を食べる気力もなく寝てしまい、夜中になってごそごそとベットに移動しました。
[PR]
by obreykov | 2005-11-18 20:32

2005.11.18 その1 忙しさの頂点が過ぎ去って、まだまだ忙しい毎日の連続

謙が戻ってから、もうこんなに日にちがすぎていってしまいました。
日本の祖父母からは、日記もメールもなく、どうしているかとの心配の電話やメールをもらい、兎に角忙しくてコンピューターの前に座っても仕事のみで、何もできない状態であることを伝えました。

どうして、こうも忙しいのか、不思議でなりません。息をつく暇がないほど、すべての時間をハアハアいって生活している感じであります。
さて、謙がチェコから戻って、その日は、秋休みのため、日本人学校も休み。ゆっくりする間もなく、ネディは相変わらず、シンクロナイズド スケーティングで大忙し。私とニッキィはLM(ストックホルム県の選手会)を観に行きました。
新しい採点法になったばかりなので、ニッキィのミニオールクラスは出場できないのがちょっと残念でした。クラブのローロ、エリーカ、ロニアもなかなかの成績でしたが、翌日のフリーで思ったような成績が出ずに残念でした。
翌日は私がニッキィやネディとその友人達、また、ペールなどを大きな来るまでスケート場まで、送り、後はネディたちはそのままシンクロナイズド スケーティングに向かい、ニッキィはペールやオリビアたちと戻ってきました。

うちでは、その日は、日本人学校の教頭先生がみえて、祐馬くんとお母さんもいらっしゃり、子供達は三十周年記念の式典で使う三十年の歩みというパワーポイントのファイルの製作に半日を過ごしました。
係の委員がこのファイルを製作しているものだと思っていたら、なんとできていないと言うのがわかったのが1週間前で、私がパワーポイントを扱うとかなりな時間を費やすため、びっくり仰天したのでした。
でも、若い男の子達はさすがです。半日で二人でかなり良いものを製作しました。教頭先生も夏休みに日本へ行たおり、以前の派遣教員達にも連絡を取って写真などをとってきてくださり、たった15分程度のプレゼンテーションではありますが、いろいろな人の力が凝縮されているのだ、と思いました。
出来上がったあと、係の委員もうちにみえて、練習をみてくれました。
当日、使用するコンピューターの手配なども私は係ではないのに、いつもの老婆心とおせっかい心が飛び出してしまいます。
ブログ友達のピヨさんが、他人に任せられる我慢強さを!と助言してくれるのをこの頃は特に感じつつ。。。
翌日、運営委員会があり、最後の打ち合わせを含めた委員会は、議題も学校運営に関わるものもあり、終わったのは11時30分をすぎていました。パパが留守中だったので、ニッキィの送り迎えをペールのパパに頼み、謙にはバイクでホッケーに行ってもらい、ネディとイヴにもそれぞれ、一人で行動してもらい、留守番もさせて、なんと家族を犠牲にしていることかと思いました。
その上に、二種類の会議の書記までついつい、書きます、といって、ご苦労なことだと自分のことをあきれてしまいました。

木曜日にはコンサートがあり、謙のオーケストラも弾きました。謙が最悪のオーケストラだと言っていたのですが、まあ、それなりにきちんと弾いていました。休憩では音楽学校の総会がありました。簡単なものではありますが、ここでは何もしないぞ、と心に決めていたのに、物理的に人手がなく、スウェーデン語での書記は絶対にしないことにしていたのに、書記になってしまいました。
でも、内容がほとんど同じなので、去年の議事録を引っ張り出して、ほとんどそのまま書かせてもらいました。
後は日本人学校の三十周年記念のみとなったわけでした。
[PR]
by obreykov | 2005-11-18 20:27

2005.11.05 チェコより無事帰宅

a0022183_14353186.jpga0022183_1436695.jpg









a0022183_14373031.jpgプラハの景色だそうです。
先ほど謙たちは雨のストックホルムに到着しました。ホームグランドのスケート場まで迎えに行きました。
かなり疲れてはいるようですが、皆元気にもどってきたのが何よりです。謙と入れ替わり立ち代り、ネディは早朝練習でこれからスケート場に向かうようです。私はこれから一眠りしようっと。
[PR]
by obreykov | 2005-11-05 14:44

2005.11.05 これが最後のチェコ便り

予定より順調にドイツの高速を走ったようで、ちょっと到着が早くなるというメールが届きました。
なんと朝の5時半。なんだか寝ないほうが良いかなという感じですが、やっぱりちょっとは寝ようと思います。

ネディも朝早いので、もう寝ていますが、私は、グズグズしていて、掃除も途中でボーリングに行ってしまったので、掃除をしたり、ばたばたと過ごしました。

ボーリングはイヴたちと洋二君たちと晃司くんの家族もきました。総勢子供8人、母親3人の団体さまでした。
弟達は、ガーターにならないようにしてもらい、イヴたちはガーターの溝のままやりました。小さい子達はガーターよけがあるため、ボールがあちこちぶつかりながら、ジグザグでも結構いい線いっていました。
子供達は大喜びで1時間たっぷりボーリングを楽しんだようでした。
そのあとボーリング場でハンバーグを食べて、私たちもおしゃべりに花を咲かせました。

帰りには洋二くんのお父さんのおすし屋さんによって、ネディにお弁当を買いました。ネディはお寿司と焼き鳥とどちらにしようかと最後まで悩んでいたので、お寿司と焼き鳥を買ってくるから皆で分けようということにしたのでしたが、お寿司焼き鳥セットのお弁当があるというので、ネディにはそれを買いました。
謙が焼き鳥好きなので、明日までとって置けるというので、謙には焼き鳥弁当、そして、ハンバーグでお腹一杯の私たちも、やっぱり欲しいので、もう一つ焼き鳥弁当を買いました。

ネディは大喜びで美味しい美味しいといって食べました。私もハンバーグなんて食べなければ良かった、と後悔しつつ、それでも美味しくつまみ食いしました。
浅漬けのキャベツと人参ときゅうりの和え物がとっても美味しく、企業秘密でしょうけれど、今度作り方を教えてもらおう、と思いました。

さて、謙の到着まであと数時間ですが、やっぱり人寝入りしましょう。
[PR]
by obreykov | 2005-11-05 08:38

2005.11.04 最後のチェコ便り

プラハ観光の翌日は再び、5時45分起床で、8時からの3時間のアイストレーニング、しかも15分の製氷の休みが間にあるだけの練習をした後は昼食、そして60キロはなれたLitomericeというところへ試合に行ったようです。
今まではスウェーデンの青年の試合はたいてい20分が2セットでしたが、今年から15分3セットになっておりました。ところが、チェコでは20分3セットだったようで、これもかなり体力の差を感じたようでした。
4対2で、負け試合となり、もう一つの試合は2対2の引き分けで終わったようでした。
とはいっても、良い練習と良い試合ができたと、リーダーやトレーナー達はかなり満足の様子でした。

今ごろはバスに乗って長旅をしている頃でしょう。明日の早朝6時に到着します。
ネディも明日はストックホルムの南のはずれのトゥンバというところで練習だそうで、同じ頃に出発するようです。
今日は早寝をしなくちゃ。

今朝は、久しぶり、ネディもニッキィも練習などないから、私もはまって掃除をしようと計画していたのに、3人とも10時まですっかり寝ていて、ミミちゃんまでぐっすり寝ていたので、びっくり仰天してしまいました。
でも、どんなことがあっても掃除とニッキィの宿題をしてから出なくては出かけられません。
イヴの泊まっている洋二くんの家族と、もう何家族かで集まって、3時からボーリングをすることになっています。
ニッキィにも宿題やらお手伝いやらしなかったら連れて行かないと言っています。さーて、こんな日記書きをしているとどんどん時間がすぎていってしまってまた何もせずに終わってしまうので、この辺でやめましょう。
続きは後ほど。
[PR]
by obreykov | 2005-11-04 20:08

2005.11.02 チェコ便り その3

たった今、チェコ便りがチームリーダーから届きました。
今日は少し遅い朝で、朝食後は、プラハまでの観光とショッピングだったそうです。古い歴史の街と、新しい物の同居する街だそうです。レストラン、店、沢山建ち並び、共産圏の面影はだいぶなくなっているのでしょう。これはブルガリアも同様。共産圏の頃しか行ったことのない私の両親は今のブルガリアを見たら、仰天すると思います。
さて、プラハも同じなのでしょう。店にはブランド物が並んでいるようで、しかも値段はスウェーデンの半額から3分の1で、選手達はいろいろなものを選んで買っていたようで、お楽しみに、ということでした。謙とオスカルは、それはそれは大喜びでショッピングを楽しんだでしょう。
本当に謙はパパのお父さんやお姉さん、私の二人の祖父にそっくりで、おしゃれが大好きです。
ブランド物も大好きで、ネディなどよりよっぽどおしゃれです。生意気な!
オスカルも謙と同様に生意気なものが大好き。スウェーデンのブランドから、グッチ、バーバリー、等等、大好きだから、何を買ってくるやら。。。

明日は再び5時45分起床で、練習と試合と、またまた大変な1日になるようです。
[PR]
by obreykov | 2005-11-03 07:52

2005.11.02 チェコ便り & ハウルの動く城

チェコへ行っているホッケーチームからの便り。
朝、5時45分起床で、火曜日は、練習と試合とで、長ーい一日を過ごしたようでした。試合は前の便りでもかなり大変な相手との試合だということでしたが、なんと第一試合では2セット目まで2対2できていたそうで、そのあと第3セット目で6対3となり、体力の差を感じさせられたようでした。次の試合もかなり強豪の相手だったようですが、5対5と言う良い成績を収め、チームリーダーやトレーナー達はかなり満足の様子でした。
今日はプラハの観光をしているようです。
それとは別に謙から“風邪をひいたみたいだが、ルルをのめばよいの?”と携帯電話からのメールのようなものが送られてきたので、飲みなさい、と返事をして、熱はあるのか、その後どうしたか、など書いたら、今朝、“だいじょうぶ”と一言返事がきていたので、安心しました。

私は、掃除などをしようと思っていたのですが、なかなかエンジンがかからず、結局、寝室の片付け少々と、シーツを取り替えることが精一杯でした。まあ、明日もあるから良いわ、とせっかくの休みだし、ゆっくり構えています。

今、“ハウルの動く城” を映画館で上映しているので、イヴの友達洋二君家族を誘って、皆でシスタというセンターに待ち合わせをしてみることにしました。
イヴたちのほか、うちは、ネディとニッキィ、洋二くんのところは謙より一つ年下のお兄ちゃんとニッキィより一つ年下の弟も一緒で、総勢8人で見ました。
ネディは日本でみてきたのですが、やはり、スウェーデン語より日本語の方がずっと良かったといっています。私たちも日本語で見たかったのですが、“千と千尋” のときは日本語でスウェーデン語の字幕だったのに、ハウルはどこの映画館でもスウェーデン語でしかやっていませんでした。残念!
この映画が彼の作品では一番良いという評判でしたが、やっぱり私は “ととろ” が一番好きです。
最後の声の出演を見て、あら、賠償さんじゃない、キムタクじゃない、と洋二くんのお母さんと言い合って、あら、でもスウェーデン語は違う人だったのよね、と馬鹿な話をして笑いました。

日ごろ忙しすぎて、洋二くんもイヴもかなりほったらかされて育っているので、洋二くんのお母さんとちょっとは罪滅ぼししたような、そんな自己満足をしました。
映画のあとは、ピザやらハンバーグやらを食べて、夕食代わりにしました。
イヴはまた洋二くんの家に泊まりに行くというので、お言葉に甘えて、預けることにし、私たちは大急ぎでもどって、ニッキィのスケートの練習に向かいました。
[PR]
by obreykov | 2005-11-03 06:59

2005.10.31 チェコの謙たち連勝

チェコに行っている謙のホッケーチームから近況報告がありました。
a0022183_739587.jpg(写真はかなり古いのですが。。。)
3時間のアイスの練習、そのほか、オフアイスの練習、そして2つの試合があったようです。試合は10対0、5対3と勝利を獲得したそうです。明日は地元のかなり強いチームとの対戦で、苦しい試合となりそうだそうです。。。
6時起床もなんとかこなしているようで、小さい怪我や少しの風邪があるようですが、大体は元気に楽しく過ごしているようです。
水曜日にはプラハの観光があるそうです。プラハはとても美しいところときいています。

ニッキィの練習のとき、ペールのお母さんのアンがペールのお兄さん達も数年前にホッケーでチェコに行ったそうですが、とても良い思い出になったらしいと話していました。今の子供達は本当に恵まれていると思います。こんな平和が何時までも続きますように。
今日は洋二くんのところに泊まっていたイヴが洋二くんを連れてもどってきました。
炊き込みご飯を作ったら、喜んで食べてくれました。子供はよそのご飯が何よりも美味しいのです。
[PR]
by obreykov | 2005-11-01 07:47