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2006.12.30 私のスーパーマン

子供たちのクリスマスプレゼントにスーパーマンのDVDがありました。テレビのスーパーマンが好きだったネディは映画館でこの新しいスーパーマンを見に行き、とてもよかったといっていましたが、私は時間もなければ、昔のスーパーマンが好き過ぎたので、見ていませんでしたが、クリスマスの日にみんなで見ました。
その後は、ビデオに収めてあった私の好きなスーパーマンを1から3までぶっ続けで見ました。
ああ、やっぱり、あのスーパーマンが好きだなあ。。。
そういえば、私はこういう強いヒーローが大好きでした。
まだ白黒のテレビの時代には(36歳と言っている割には白黒のテレビがでてくる。。。)ジャングルの王者ターザンが大好きでした。鉄人28号やウルトラマンも好きだったけれど、そのうちスーパーマンへと移行していったのです。007も好きでしたが、スーパーマンは何かもっと好きな思いが強くて、こんな強くて頼りがいのある人はこの世にいるかしら、と本気になって考えていました。スーパーマンのころは私も結構いい年になっていたのに本気になってスーパーマンのような人が現れないかしら、なんて思っていたからお嫁に行きそびれそうになっていたのかもしれません。
でも、スーパーマンみたいに空は飛べないけれど、頼りがいのある私のスーパーマンが飛行機に乗って私の前に現れてすっかり映画のスーパーマンのことは忘れてしまいました。
子供が生まれてから、スウェーデンのテレビでも時々、スーパーマンを放送して、そのときには録画をするのを忘れませんでした。スーパーガールなんていうのもあって、それも録画しました。子供たちが小さいころ、一緒に見ながら、「ママの従兄弟はスーパーマンなのよ。」なんて馬鹿なことを言って、子供たちもすっかりそれを信じて、「ママも飛べるの?」「そうよ、でも従姉妹だからスーパーマンほど上手にいつもは飛べないの。」「飛んで見せて。」「いいわよ、えーい」
「あら、今日は調子悪くて飛べないから今度ね。」なーんて子供と会話をする悪い母。。。
先日このスーパーマンを見ながら、イヴが「ママ、スーパーマンの従姉妹だって言っていたでしょ、ぼく本当に信じて学校で友達に話したんだよ。」なんて言っていました。。。やれやれ、ひどい母親。
何はともあれ、久しぶりに見るスーパーマン、やっぱり私はスーパーマン2が一番好きだわ。
あのブルーの眼で見つめられたら、心臓が口から飛び出してしまいそう。私の本当のスーパーマンは緑がかったいろいろな色だから心臓が口から飛び出さなくてすんだのかな。。。

DVDの中にもう一枚入っていたDVDには映画になるまでのエピソードやらどんな風にして映画が出来たか、撮影風景などいろいろ面白いものもありました。
カッコよく空を飛んでいるスーパーマンもなーんだ、紐に引っ張られて、背景は後でつけられただけなのか、と一寸興ざめしてしまいますが、それにしても本当に良くできたものだと思いました。ブルーの背景の中で、紐に引っ張られて飛んでいるのに、映画では本当にメトロポリタンの上空を飛んだり、小さいプールでボートのかけらを持ち上げているだけなのに、映画では大荒れの海上で大きなボートを海の中から持ち上げたり。。。。
よーくできているスーパーマンでしたが、やっぱり私はクリストファーのスーパーマンが一番好きだわ!

今日はネディとヨハンナをナッカのスケート場に朝から送った後、2件も買い物に駆け回り、明日の大晦日のために準備を進めています。毎年のように我家に友達達が来て新年をむかえる予定です。
メニューはパパの作るお米が入った肉団子のスープ。メインは私の鮭のパイ包み。ニーナがデザートにジャンボプリンを作ってきてくれるということで、いつものように甘いシロップのかかったバクラヴァという胡桃のパイ、そして福引入りのバーニッツァというチーズパイです。そのほか、色々なオードブルなどなど。。。

謙は今デート。昨日は少し遅れたクリスマスプレゼントにパパから120センチ幅のベッドを買ってもらって、ネディと私は何で120センチが必要なの、と文句を言いましたが、ホッケーの迎えに行くとガールフレンドがちゃんと見に来ていて、うちにきました。御両親知っているのね、と確認しましたが、泊まっていきました。なーんか、複雑な気持。16歳なのに。。。

ネディは二人の女友達と映画に行ってきて、久しぶりに友達と会って楽しかったようです。
ニッキィとイヴは1日中、DSというゲームを。。。
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by obreykov | 2006-12-31 04:26

2006.12.28 さよならポール、安らかに永眠してください。

我家のパパの兄弟のような親友、ブルガリアの黒海からゴムボートで一緒に亡命したイヴァンの長男が12月11日に投身自殺をし、今日がその告別式でした。
忙しいのとそんなポールの死亡もあって、なんとなくこの日記も書く気になれなかったのでした。
我家の子供達とは年代が違うので、一緒に遊ぶことなどは無かったけれど、イヴァンはパパの大切な人だし、ブルガリアを一緒に旅行したりしたこともあるので、全員告別式に連れて行きました。
久しぶりに会う友人達と、こんな場所で会うなんて、と話しました。
礼拝堂に入ると、すでに花で飾られた白い棺があり、14時の鐘の音とともにイヴァンとインゲル、そして二人の妹達が御主人たちと一緒に礼拝堂に入ってきました。
イヴァンやマリアの涙を見るとこちらまで涙がとめどなく流れてきてしまいました。
オルガンの演奏や、賛美歌や、女の神父さんのお話など聞きながら、告別式は厳かに進みました。
最後に家族から順に棺の上に花を添えて別れを告げました。スウェーデンの告別式では棺はしまったままで、今日は火葬だったため、お墓に埋葬にも行かず、教会の別室で別れを惜しんでの追悼の会がありました。
なんといってよいのか、言葉も無く、イヴァンたちと抱き合って無言で挨拶をするのみでした。
イヴァンがこんなに悲しそうな顔をして泣いているのを見るのは本当に初めてでした。
マリアやイルヴァにも何も声をかけてあげることが出来ず、ただ抱き合って挨拶をしました。
インゲルが一人、悲しみが大きすぎてか涙一つもこぼさずにいたのが印象的でした。
うちのパパがまだ独身だったころ、イヴァンの家でクリスマスを迎えているときに、インゲルが産気づいて生まれたというポールでしたが、どうして自殺なんてしてしまったのでしょう。
成績もよく、よく出来た人だったのに、自分に厳しすぎたのか、満足できなかったのでしょうか。。。死ぬ気になれば何でもできるだろうと思うのは健康な私たちの考えなのでしょうか。
誰が亡くなっても悲しい思いは同じでしょうけれど、私も子供をもつ親として、子供に先立たれたイヴァンやインゲルの気持を思うと、言葉にならない辛いものがあります。
告別式から失礼するとき、もう一度イヴァンたちに挨拶をしたら、イヴァンが「娘達だけになってしまった。。。」と言っていました。
どうして、自殺なんてしてしまったの、こんなに回りの人たちが悲しんでいるのに。。。
どうしてみんながブルガリアに行ってイヴァンのブルガリアの会社の創立一五周年パーティに行ったとき、ポールも一緒に行かなかったの?どうして、インゲルを空港に迎えに行く約束を果たさずにその同じ日に自殺なんてしたの?
あんなに悲しんでいる家族を思うと、棺を開けてポールを揺り動かしてどうして?どうして?と訊きたい感じがします。
でも、本当に生きていられないくらい辛かったのでしょうね。どうして誰かに愚痴をこぼしたり、相談したり出来なかったのか、と残念でなりません。
どうぞ、安らかに永眠してください。
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by obreykov | 2006-12-29 06:06

2006.12.25 静かなクリスマスの朝

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申し訳なさそうに残っているかいないかわからないような雪(もしかして霜)のクリスマスの朝です。
昨日は珍しく全員が家におり、サンタクロースも無事にクリスマスツリーの下にプレゼントをおいていってくれました。中には一寸早めに届いてしまった謙のスノーボードや、アンプなどもあったり、間に合わなかった日本からのゲームソフトやら、ネディのデジタルの一眼レフカメラ等もカードに「一寸遅れて届きます」とサンタクロースからの手紙があったりしました。
謙が街で見つけてきたパパへのプレゼントは私も出費して、ウールのそでなしのベストで前がボタンになっているタイプのものにしました。これはさすが謙の見立てで、とても喜んでくれました。ボタンの無いタイプのベストはたくさん見かけるのですが、ボタンのあるタイプはなかなか見かけないので、大喜びでした。
少し前までは学校の家庭科や学童保育で作ってきた作品などがプレゼントとして並びましたが、今回は下の二人もお小遣いをもってプレゼントを買いに言ったりして、家族にという名目で、物凄い大きいビンに入ったドロップを2ビンも買ってきて、みんなでわいわい食べていました。よくあんなに飴を食べても舌が痛くならないなと感心します。

さて、下の二人がよく手伝ってくれて、掃除もニッキィが掃除機をかけてくれて、私は料理に専念することが出来ました。お客さんは呼ばないけれど、アメリカ風に七面鳥の丸焼きにしました。本当は日本の友達の御主人が(当時は恋人だったっけ)作ってくれた鶏の丸焼きの中にご飯が入っているのがとっても美味しかったので、そのようにしたいと、インターネットでレシピを探したのですが、どうも良さそうなのが見つからず、いつもどおり、アメリカ人の友達に教えてもらったニンニク入りのパンを詰める七面鳥にしました。
ピラフは別に炊きました。ソースは七面鳥から出た汁を生クリームに入れて醤油で味を調えたものですが、この醤油で味を調えるというのがミソです。

忙しくて、日記をかけなかったのですが、ブルガリアに行っていたパパが3日もかかってやっと帰ってきました。
本当は金曜日に帰るはずだったので、我家のあるプロヴディフから朝、ソフィアに向かいました。ところが10日以上続く霧で、乗っていくはずの飛行機がブタペストからソフィア上空に来ていながら、そのまま逆戻りしてしまいました。のっていたお客さんはたまらなかったでしょう。もうついているのに着陸できず戻ったのですから。
その日は、親戚の家に泊まって翌日、どうなるかわからない状態でいたら、たくさんの飛行機はソフィア以外の飛行場に着陸しました。そして、ハンガリーの飛行機はなんとプロヴディフに到着。それで、バスでソフィアからプロヴディフに逆戻りです。
そして、なんとかブタペストまで到着して、その夜はブタペストで1泊。翌日、SASに乗ってコペンハーゲンまで行き、その後ストックホルムまで戻ってきました。
私はその日、日本人補習学校の会議が朝からとうとう夜の7時まであったので、近所に住んでいる友人でいつも色々助けてくれるストラヒールに電話すると、むかえに言ってくれるということなので、本当に助かりました。
義姉が美味しい焼きたてのパンとクズナックという菓子パンを持たせた、と言っていましたが、3日も古いものになってしまいました。

18日は父と母の結婚記念日でした。二人とも元気で母の弟夫婦を呼んで、柿原養鱒場の料亭に行って楽しい夕食会をしたようでした。実家から散歩で行けるこのレストランは熊本でも有名でわざわざ遠くからのお客さんもたくさん来るようです。
夫婦喧嘩をしつつも何時までも元気で結婚記念日をたくさん迎えてほしいものです。

子供達はそれぞれ学校が終わり、謙は早速ガールフレンドを含めた友人達とあちらこちらに行ったり、ホッケーの試合に行ったり、ガールフレンドが泊まったり(心配心配。。。)、ネディはスケートのトレーナーや自分のトレーニングに大忙し、イヴも久しぶり友達と遊んだり。。。
ニッキィはスケートのテストがあり、新しいスケート靴でテスト3のベーシックとフリーが受かりました。審判のハラルドには、フリーはジャンプもかなり高く、グッドシェンド プラス(合格以上の出来)だったといわれたそうで喜んでいました。
高いスケート靴でしたが、調子は上々。ブレードが仮留めだったので、スクリースコー ヨーハンのところにもって行き、きちんと留めてもらいました。ヨーハンもニッキィのテストの合格を喜んでくれました。
今度はお正月早々に、試合があるのですが、男子女子混合で同じレベルの選手と戦います。
ニッキィはミニョ-ルAというクラスで、一緒のクラスの女の子を見てみるとなんとヤグーディンのトレーナーだったマヨロフの生徒たちが三人も来ることになっています。一人はニッキィと同じテスト3を持っています。大変な試合になるでしょう。

そうそう、昨日はアンにもらったSM(スウェーデン選手権)のDVDを見ました。マヨロフの長男アレクサンダーのエキシビションが入ってましたが、なんとなんと、信じられない演技!
この時のたぶん練習だろうと思いますが、YouTubeにもあったのでご覧ください。本番では上着を脱いで、白いシャツに腰巻をつけて、まるでロシアの人形のようでした。
この人は絶対に将来世界をあっと驚かすでしょう。ヤグーディンより凄い選手になるかも!
楽しみ楽しみ!
ニッキィが2年前のSMのエキシビションのアイスショーに出たとき、始めてこのアレクサンダーの滑走を見ましたが、ちょうどニッキィのプログラムと同じロシアの曲を使っていて、曲自体は演奏もアレンジも別のものでしたが、とても印象に残りました。あの当時で13歳くらいだったと思いますが、信じられない滑走でした。
彼がオリンピックなどに出るようになったら、世界はびっくりするでしょう。
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by obreykov | 2006-12-25 19:40

2006.12.15 感激したわ

今晩は謙のダンデリード高校の音楽科の生徒のコンサートでした。
パパが留守だったのが残念でしたが、私一人で行ってきました。ネディも来たかったのですが、シンクロナイズドスケーティングの練習があるためビデオで撮っておきました。
はじめは、会場が真っ暗になり、外から真っ白なネグリジェ風の衣装を着て手にはロウソクをもって、サンタルシアを合唱しながら入場してきました。幼稚園や小学校のルシア祭はとっても可愛いのですが、謙たちの合唱団は歌も上手で本当に私は感激しました。感激でぐっときて涙さえ出てきました。
次々とルシアやクリスマスにちなんだ美しい合唱が続き、男性との太い声も響き渡って本当にすばらしいものでした。
そして、その後は音楽科の生徒たちが秋学期に学習した音楽の披露がグループ毎にありました。クラッシックあり、ポップあり、ロックあり、ボサノバあり、本当にバラエティーに富んだプログラムでした。
私が音大生のころはこんなに音楽を楽しんでいたかしら。本当にどの生徒も音楽を楽しんでいて、こちらまで気持が豊かになりました。
私が音大生のころはただただ試験に追われ、必死に練習して、音を楽しむまで行かなかったように記憶します。

もう一つ嬉しかったことは、5年以上も前、役員も一緒にしていたことのある、古い友人にあったことでした。彼女が引越してから、なんとなく連絡が途絶えていたのでした。ネディより一つほど年上のソフィーが謙達とチェロを弾いていました。妹のアンが謙たちと高校の合唱団に入っていてルシアの合唱に参加していたそうで、後で謙に聞いてみると合唱のとき、結構話したりしていたけれど、どこかであったことあるな、と思って誰だったかわからなかったと言うことでした。
アンも謙のことどこかであった、と思いつつ、やっと今日、私と再会したので、わかったそうです。
子供は5年も会わないとすっかり変わってしまいますが変わらないのは私たち親で、親を見ると誰だったかわかるようです。

本当に懐かしくて、休憩のときはたくさんたくさん話しました。

そのときに謙のガールフレンドのヘドヴィックがお母さんと弟と私のところにやってきて挨拶しました。お互いに、お目にかかれてよかったわと話し、私は、他に何を話したらよいの_わからなかったのと、幸いマリーとの会話に花が咲いていたので、挨拶だけで終わりましたが、本当はもっと色々話すべきだったのかな、と思います。でも、何を話すのでしょうか、こんなとき。。。

昨日熱があった謙は今日が元気になって本当に良かった!
母が神様にお祈りすると本当に良く聞いてくださると言っていたので、さっそく、昨日は電話して母からも神様にお祈りして、と頼んだのでした。
でも、イヴが喉と頭が痛いと、今日は学校を休み、ほとんど1日寝ていたようですが、7度少し微熱があるようです。
これはニッキィと同じ!もしかしたら、ニッキィからストレプトコッキというばい菌が移ったのかも。。。病院に調べてもらうように電話したら、案の定、今日の救急の受付けは終わったので、明日8時に電話するようにといわれ、予約を入れることさえ出来ませんでした。全くスウェーデンの医療には頭に来る!
風邪くらいではなかなか受け付けてもらえないのです。。。でもストレプトコッキかも、というとなんとか受け付けてはくれるようです。但し、8時から9時までの間に電話して、開いている先生がいれば、の話。。。
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by obreykov | 2006-12-15 06:47

2006.12.13 ニッキィの新しいスケート靴

今日は待ちに待ったニッキィの新しいスケート靴を取りに行き、ニッキィは初滑りに大満足で、私は日本へ行く飛行機のチケットが買えたなあ。。。と懐の淋しい思いをしています。でも、ニッキィがこんなに大喜びしているのだから、まあ、嬉しいかな。。。
写真を載せようと思ったら、なんと、ネディが最近はじめた日記の本日のページに先の謙のルシア際の様子も、ニッキィのスケート靴の様子も写真入で書いていたのでそちらを参照してください。
それにしても、何で英語で書くの?!
読みにくいじゃない!
せめてスウェーデン語にしてくれたら良かったのに、日本の友達もスウェーデンの友達もブルガリアの友達も、世界の友達がいっぺんに読めるように、ということらしいけれど、私は、細かいところがいま一つわからなかったりして、実の娘の日記なのに。。。(涙)

スケート靴は前の靴を買ったときも、スクリースコー ヨーハンというヨーハンがやっているもともとはホッケー専門で、今はフィギュアもバッチリの人。不思議なことに彼が足を両手で包み込むようにしてさわるだけで、その人がどんなスケート靴を履いたらよいかわかる人。
ヨーテボリのマドレーンが卸していて、マドレーンもヨーハンもよーくわかってくれている人なので安心できます。
自分で納得する仕事をしている人なので、結構、時間がかかりますが、ニッキィの足にしっかりあうように調節してくれ、ニッキィも満足のようでした。
しかも、前に届いた靴はほんの少し、気持だけニッキィの足には大きくて、ヨーハンが納得できずに別の靴を注文しなおしたのでした。
そのため、ニッキィの現在までの靴を調整して、約5ミリくらい大きくして、待っている間その靴で滑れるようにしてくれたのでした。

トレーナーのターニャはニッキィの足に合うのなら、軽いエデーアの靴がよいだろうと言っていたのですが、結局、今までどおりの荒川静香さんと同じ、グラーフにしたのでした。

それにしてもフィギュアスケートもお金のかかるスポーツです。。。(涙)
ニッキィと同じ日本人のお母さんを持っているローニアは、日本のスケート靴を履いたら、あまりに良くてびっくりしたということで、日本の靴は輸出していないので、日本へ行ったときに買うのだといっていました。
うちもこの次は日本で買おうかな?
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by obreykov | 2006-12-14 08:32

2006.12.13 ルシア祭

本日はスウェーデンのルシア祭です。今日を境に陽が長くなるのを祝って、サンタルシアの歌とともに早朝、頭にロウソクの冠をつけたルシアを先頭に合唱します。
幼稚園、小学校時代は恒例の13日の早朝の行事でしたが、この頃子供達も大きくなって、早起きしてルシア祭を見に行くこともなくなってきたこの頃でした。でも、謙がダンデリード高校のネディと同じ、理科系ではあるけれど、芸術科の音楽に入ったので、高校で、4回のルシアの合唱があったようです。
いつも小さいころから何か特別なことがあると熱を出していた謙ですが、本日も例外なく、しっかりと37度少し熱を出し、解熱剤を飲みながら出かけていきました。4回の公演を終えてから戻ってきたようです。
ネディが携帯で写真やビデオをとってきました。さすが音楽科の生徒達なので、すばらしい合唱だったようです。
ルシア祭の合唱の男の子は、襟がつんととんがっているタイプの白いネグリジェのようなものを着ますが、謙のような大きい人のサイズが無くて、友達も襟が丸くなって、袖口もフリルっぽくなっているルシア用の白いネグリジェのようなものを買ったというので、少し丈は短かったのですが、ネディの去年使ったものを着たようです。
うちは男の子が3人なのに、なぜか、ルシアのときはみんなネディのお下がりを着ていました。
どうして男の子用を買ってあげなかったかな、と思ったのですが、男の子はサンタクロースの洋服を着たり、ペッパーカーカグッベと言って、香辛料たっぷりのクッキーの洋服を着たりと、色々だったからあまり、うちの子供達はネグリジェのようなものを着る星の精の服は着なかったのでした。

イヴもなんとかエレキギターのレッスンは行ったようですが、熱っぽくて寝ています。謙もぐっすり寝たまんま。
ネディが昨晩は謙に生姜のおろしたのと蜂蜜を熱湯で溶かしたものを飲むように用意してあげたら、気分が良くなったのか、今朝も自分で作って飲んでいました。

明日は学校でクリスマスコンサートがあるというのに、謙は出演できるのかしら。
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by obreykov | 2006-12-14 03:30

2006.12.12 忙しい毎日、ホッと一息

今日、やっとミニコンサート、4つ終わって、ホッと一息です。
先週の木曜日から、ヴァイオリンのコンサートがあり、それも大成功に終わり、週末はアドヴェントコンサートという、クリスマス前のコンサートを教会で催しました。
毎年、ネディと謙も出演していましたが、高校が忙しくなったり、色々で、オーケストラをやめてしまったので、イヴとニッキィのみの出演でした。謙はホッケーの試合をやめて、聴きに来ておりました。
毎年、ネディも謙も出演していたコンサートだけに、なんだか淋しいような変な感じでした。
私は昨日は二つ、今日は四つのミニコンサートが終わり、後は、木曜日のバレエのミニコンサートを残すのみとなりました。

さて、ニッキィも無事にターリンから戻りました。かなり楽しい旅だったようです。オリヴィアとジェイミーと同室で、一番楽しそうなグループだったようです。
ストックホルムではフィギュアスケートの男の選手が限られた人数しかいないので、いつも試合をする前からだいたい誰が何位になるか想像がつくような感じですが、ターリンでは、ロシアの優秀な選手がたくさんいて、ニッキィと同じ様な歳の選手が12人で、試合したので、ニッキィにとっては本当に良い経験になった、とトレーナーも話していました。
負ける経験も良かったし、また、たくさんのロシア人を含む12人中7人というのも悪くない成績でした。
ニッキィは、学校で自由発表という時間があり、そのとき、ターリンの旅行の話をしたそうです。

謙は、100人は超える友人を持っていて、よく色々な友人がきたりしています。特に、昔から仲良しのマルティンは、うちにも泊まったりして、我家の変わった料理も喜んで食べていきます。
4,5人でわいわいしているときは良いのですが、先日、高校の二人の女の子もその中に含まれて、泊まっていきました。まあ、人数も4,5人と言う事で、良いのかな、と思いましたが、一応、みんなの両親が泊まることを知っているのか確認したのみに留まりました。

けれども、その後、学校の帰りに、ヘドヴィックというよくうちに来るようになった高校の友人が謙と二人だけでやってきました。その後、学校で、新しく入学する人たちのための学校紹介のオープンスクールがあるので、学校に戻るというのですが、二人で、何をしているのか、部屋に閉じこもって私も一寸というか、かなり心配。

11月25日には、そのヘドヴィックをうちに泊めたのでした。その子の親は謙のところに来るって知っていたというけど、その夜、謙の男の友達がいる間、11時過ぎに友達迎えに行くといって出て行き、迎えに行くなんて変だなとは思ったのでしたが、まさか、女の子とは思わなかったのでした。
いつもうちに来ている男の子たちは夜中に帰ったらしく、その女の子が泊まっていたので、ぶったまげてしまいました。
心配なので、小言を一寸言ったら、ママは日本人だし、ママの時代とは違うっていわれてしまったのです。
どうしたらよいかわからなくて、数人の日本人の少し年上の息子を持つ友人に早速相談しました。はじめはやっぱり子供から日本人だから、違うとか怒られたりしながらも、かえってうるさいお母さんと思われるように結構きちんと意見した方がいいかも、ということだったので、私も、うるさいけれど、責任ある行動と、謙が友達のところに泊まるときはどこに誰と泊まるか、うちに誰かが来るときはそれも言って欲しいことなどいいました。

そうこうしているうちに、再び、ヘドヴィックが泊りがけで来ました。そのときはマルティンも一緒だったので、マルティンも泊まっていくようにいいました。3人が別の音楽の友達の所に出かけている間、私はしっかり、簡易ベッドを用意して、3人がばらばらの所に寝るように準備しました。
ちょうどその日はイヴの友達の洋二くんと弟の勇樹くんもいたので、うちはまるで合宿所のようでした。
でも、その晩はヘドヴィックのお父さんと電話で話すことが出来て、もう16歳なので、自分で責任を持った行動をとるようにいい、信じるしかないし、また、街の中に出かけて誰とどこで何をしているかわからないよりは良い、という話もして、少し、気が楽になりました。

ヘドヴィックの家では、すでに独立しているお兄さんとお姉さんがいるそうで、全ての過程はもう通ってきているので、お父さんも少しは落ち着いているようでした。パニクッているのは私だけ?

パパは、スウェーデンの子供達は、早いうちからしっかりした性教育を受けているのだから、私たちなどよりよっぽど十分な知識を持っているから大丈夫だ、なんていうし、仕事場の同僚は「何心配しているの、ぼくは14歳の時が初めてだった、それは今から思うと早すぎたなと思うが、16歳の健康な男の子なら問題ない。それとも、可愛い謙ちゃんがガールフレンドできたなんて、認めたくないの?」なんていうし。。。
ちょうど、ネディが今日本でブームらしい「14歳の母」というドラマを見ているので、私もはじめは馬鹿にしていたけれど、見てみました。
子供が出来たら、産むのもおろすのも、結局は女性にしか決定できないと言う事実。これを謙にも見て欲しいと思ったのですが、「ぼくはそんな馬鹿じゃないから自分が何をしているかよくわかっている。」といわれてしまいました。
もう、信じるより仕方ないかな、と思います。

但し、アンなど、スウェーデン人の友人に相談してみても、やっぱり日本の母だから、という問題ではないことがよーくわかりました。

今日は夏ごろから計画していたレッドホットチリペッパースというグループのコンサートに数人の友達と行くそうで、今、マルティンも来ているようです。
彼はこの頃謙の高校のへレーンと仲良くなったようです。へレーンは謙のクラスメートのヘンリックの双子の妹(姉かな?)です。一緒にコンサートに行くはずの一人が行けなくなったため、このガールフレンドが変わりに行くことになったそうです。
まあ、高校時代って、こうして、色々な友人も出来て一番楽しいころなのですよね。
私も、男女数人で、石神井公園の池にボート乗りにいったりして楽しい高校時代を過ごしたのなど、本当に良い思い出です。

以前は「ママは何でも訊き過ぎるから、絶対にママには色々なこと言わない。絶対秘密主義になるんだ」と言っていた謙ですが、ちゃんとどこに行くか、誰といるか、どこに泊まるか、誰がうちに泊まるか、などきちんと言ってくれるので、まあ、良しとするか、というところです。
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by obreykov | 2006-12-13 01:49

2006.12.03 お帰りなさい

ヨーテボリに試合に行っていたネディたちのチームが今日戻りました。
バスでストックホルムの南の方のリリエホルメンというところから出発しましたが、バスの車庫がこちらのほうだということで、ソーレンテューナまでネディとヨハンナは送ってもらいましたので、助かりました。いつもはリリエホルメンまでパパが迎えに行っていたのに、今は留守だから方向音痴の私が迎えに行くのか、と不安だったのです。

さて、ネディたちのノーザンライトは、昨日のショートで転倒したりする失敗があったため4位になっていたようですが、本日のフリーでなんとか3位に落ち着いたようでした。良かったね、と言うと1位か2位を目指しているので、ちっとも良くない、ということ。。。随分、力が入っているストックホルムのノーザンライトです。
前シーズンで、ヨーテボリ勢を負かして、世界選手権までいけたので、今回もかなり、頑張っている様子。
後、二回の試合を頑張って、1位、2位をとらないと、世界選手権のチケットは取れません。

さて、ターリンのニッキィたちも今は帰国の途に付いているはず。携帯電話が、ニッキィのでは、連絡できずに、オリヴィアのママの携帯で少し話しましたが、いつもスウェーデンではほとんど1位のニッキィでしたが、やはり、ヨーロッパに出ると、上には上がいて、特にロシアの方では優秀な選手が多いので、ニッキィのクラスは12人。それもまたまた凄いことですが、ニッキィは7位にきたそうです。
滑走は見ることが出来なかったのですが、初めてのインターナショナルの試合で、きっと良い勉強になったことでしょう。
日本やアメリカにも優秀な選手の卵たちがたくさんいるので、いつかそんな人たちとも競い合える日が来たら、楽しいでしょう。

昨日は洋二くんが泊まり、謙のところにはマルティンとヘドヴィックという謙のガールフレンドが泊まり、家中の簡易ベッドやら、掛け布団やらあちらこちらに移動させ、結構疲れました。

謙のガールフレンドの話はまた別の機会に。。。
もう、くたびれたので、今日はこれでおやすみなさい。
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by obreykov | 2006-12-04 08:29

2006.12.02 師走です。

師が走り回ると書いて師走とは本当によく言ったものだと思います。
11月も走り回ったような月でした。あまりの忙しさに、パンクしそうで、コンピューターの前に座るのも最小限で、ここに日記を書いても愚痴を並べるだけになりそうで、書けない状態でした。

その間、パパは無事に戻ってきて、私の長引いた風邪もなんとか、と思っているうちにニッキィが喉が痛いと言い出したり、ネディまで同じ様に風邪をひいたり、なんだか冴えない我家でした。スケートクラブの友達の多くがストレプトコッキというバクテリアで喉いたの風邪をひいてたくさんの人がペニシリンを飲み始めたので、慌ててわたしもニッキィを連れて調べてもらいました。するとなんと、即結果がわかる検査ではストレプトコッキはでなかったし、医者の診察でもその様子は無かったのに、翌週になって、医者から電話があり、血液検査で、ほんの少しストレプトコッキがでたということで、薬なしで治るだろうが、ニッキィのように毎日ハードトレーニングをしているような子供は念のためにペニシリンを飲んでも良い、と言うことで、即薬を購入しました。
というわけで、元気にはなっておりますが、薬も飲ませ間はじめました。

そうそう、この間に、パパも居ないとき、私も忙しくて、日本人補習学校の運営問題でもいろいろあって役員と電話で話したりして、子供の世話どころではない感じのとき、ニッキィの尋常沙汰ではない泣き声をきいて、慌てて電話を切りました。
どうやらイヴとの兄弟げんかで、腕で防御した際、かなり打ち所が悪かったようで、私が触ることも出来ないほどの激痛だったようで、私も慌てて、車に飛び乗り、救急病院に連れて行きました。
幸い、あまり混んではおらず(スウェーデンの救急は平気で6-8時間待たされます。)医者もよい方にあたり、レントゲンもとってもらって骨折もヒビも入っていないことを確認してなんとか戻りました。

あまりの忙しさに、子供を怪我させたか、などと考えたりして、私もかなり自己嫌悪に陥ったりしていました。

さて、パパもせっかく帰宅したのですが、先日、木曜日にまた出かけていきました。15日までまた留守です。

ニッキィはというと水曜日からフェリーでエストニアのターリンに試合にクラブの人たちと出かけました。
昨日はネディがヨーテボリに試合にバスで出かけました。
謙は友達の所に泊まってきたので、昨日はイヴと私のたったの二人でした。
今日は淋しいので、イヴの友達、洋二くんがきて、泊まっていくことになっています。でもその条件として、洋二くんのお母さんと日本人学校の先生と、必ず宿題の作文を二人とも仕上げることというので、今日は二人をキッチンのテーブルに釘付けして、今せっせと書かせています。
出来上がりそうなので、これが出来たら、シスタという近くのショッピングセンターが21時まで開いているので、そこに連れて行こうかと思っているところです。
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by obreykov | 2006-12-03 02:01