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2007.06.28 音楽合宿のコンサートとイヴのヴァイオリン

今日は、イヴの参加しているロート レーゲル(楽曲の合宿)の最終日で、コンサートがありました。イヴたちのクラスロー フィオールのアンサンブル7人のうち6人が昨年と同様に参加、うちの近所に住んでいるヴァネッサだけ、申し込むのが遅れて定員一杯になって参加できなかったので、私たちが彼女も一緒に連れて行きました。
クリスティーナ先生のご実家からくるまで20分くらいのところでコンサートがあり、昨年同様クリスティーナ先生も娘さんのクラーラと一緒に聴きにきてくれました。ひとつだけ違っているのは、クリスティーナ先生の90歳を越していた元気なお母様が昨年の夏になくなってしまったので、一緒ではなかったことでした。

コンサートは本当にすばらしく、たった数日間で本当にたくさんの曲を弾けるようになり、びっくりします。クリスティーナ先生は感激して何度も涙を流していらっしゃいました。

コンサートのあとは7人の子供たち、その両親と兄弟たちもみんなでクリスティーナ先生のご実家に行きました。私の携帯で写したので、あまり良い写真ではありませんが。。。
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子供たちの後ろにクリスティーナ先生と我が家のパパも写っています。
クリスティーナ先生は美味しいポテトサラダとホットドックを用意していてくださり、私はりんごのケーキと梨のケーキを朝焼いて持っていきました。
とても広い田園風景の中、羊やアヒルが向こうの野原にいたりして、ご実家は先生のおじい様が自ら建てたという、古い素敵な田舎の家で、本当にすべてが素敵でした。
親たちは楽しく会話し、子供たちは広い庭でよく遊びました。
天気もすばらしくよくなって、暑くもなく寒くもなく風もなく、みんなすっかりお暇するのを忘れて長居をしてしまいました。

イヴがお借りしていたクリスティーナ先生のヴァイオリンは小さいクリスティーナがすっかり気に入って購入することにしたそうです。小さいクリスティーナのお母さんはどうしてイヴが買わなかったかをイヴに訊いていましたが、私も、楽器はそれぞれ音色が違うので、好き好きだし、イヴが気に入ったヴァイオリンはネディはなんとも感じなく、ネディの気に入ったヴァイオリンはイヴは好きではないし、ヴァイオリンがよいとか悪いとかそういう問題ではないと言うことも説明しましたら、安心したようです。

そういえば、私のピアノはヤマハだったけれど、私は弾きやすくて好きでしたが、音がちょっと硬くて、ジャズピアノには向いているけれど、ドビュッシーなど弾くときは合わないな、と思っていました。大学の試験はたいてい二部屋を使っていましたが、順番でスタインウェイのピアノだったりヴェーゼンドルファーだったりしたのですが、たいていの学生はスタインウェイで弾くのが大好きでしたが私はどうしてもスタインウェイのときはうまく弾けず、良い点をもらえませんでした。
ヴェーゼンドルファーにあたると、練習でうまくいっていないような曲でさえ、とってもよく弾けて思ったより良い点を取ることができたので、私はヴェーゼンドルファーが大好きになりました。

スウェーデンに来て我が家のパパがピアノを買ってくれましたが、私が日本では弾いたことのなかったブリュートナーというドイツのグランドピアノです。
本当にやわらかくて美しい音を出してくれます。声楽家はこのピアノで伴奏をしてもらうのを好むとか。うーん、わかる気がするな、と思います。

ピアノでさえそれぞれまったく違った音色を出すのですから、ヴァイオリンなんて、本当に一つ一つ違った音色を出します。
もちろん弾く人の技術によって、同じ楽器でもそれは豊かな音色になったり、つまらないものになったりしますが、私が弾いても、楽器によってまったく違う音がでるのは本当に面白いものです。
昔、イ ムジチというイタリアの弦楽団が来日したときに聴きに行ったヴィヴァルディの四季、ヴァイオリンの音が南欧の太陽のようにキラキラと輝いて華やかに聞こえたのは本当にびっくりするとともにそれまでのヴァイオリンのイメージがまったく変わったものになったのを今でもはっきり思い出します。それまで、ヴァイオリンって、どちらかというとむせび泣く様な音のように感じていたので、ある種のショックを受けたのを覚えています。

イヴにヴァイオリンはどうだったか、と訊くと「めちゃ、よかった。ますます好きになった。」と即答したので、私もうれしくなりました。
自分の満足できる楽器に出会ったときの感激は、私も体験したことがあるので、本当にうれしく思いました。
一目惚れって言うけれど、イヴもこのヴァイオリンには一種の一目惚れをしたのでした。
スヴェンのところで、いろいろなヴァイオリンを弾かせていただいたとき、「あ、これ」って即座に言ったのでした。
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by obreykov | 2007-06-30 07:29

2007.06.28 子供たちは元気

あまりに連絡もしてこないイヴとニッキィの携帯に「連絡無いけれど元気なの?」とメッセージを入れておいたら、イヴの携帯は電波が届かなく ヨーハンの携帯を借りて連絡してきました。
ニッキィからも、早速電話があったけれど「ママ、ぼく、水疱瘡したの?」といきなり言って、「したわよ」というと「うん、じゃあね、バイバイ」というので、慌てて「ちょっと待って、どうしてそんなこと訊くの、具合悪いの?」と尋ねると「ロビンという子が水疱瘡になったの、じゃあね、バイバイ」とそっけない電話。
でもちょっと不安になって、子供の頃の健康カードを出して調べてみるとどの子のカードもいつ水疱瘡をしたか記録してあるのに、ニッキィだけ無いので、パパに聞くとニッキィはしていないよ、とたいして詳しく子供のこと覚えていないパパが自信もって言うので、心配になりました。
でも、イヴが1998年の4月にしているので、移っていないわけがありません。
昔、ネディが生まれたときからつけ始めていた5年日記というのを取り出して調べてみました。
読んでいくと、まるで昨日のことのようにいろいろなことが思い出されてきます。
ニッキィにはまだ移らないみたい、と数日書いています。
私も実は、母が水疱瘡の子がいると早い時期に移るようにと早速一緒に遊ばせたりしていたそうですが、とうとう子供時代には移らなかったのです。成人してから水疱瘡になり、大変でした。
ニッキィにも移らなかったのかと読み進んでいくと、4月末に背中にぽつぽつでき始め、翌日は顔も体も水疱瘡で一杯になった、ということが記録されていたので、安心しました。

パパが、コンピューターの日記より、やっぱりこういうほうがいいんじゃないの、と言いました。
確かに、コンピューターを頻繁に使うようになってから、またこの今では化石化した日本語のOSのパソコンを買ってからこれには家計簿のプログラムが入っていて、そこには日記もあったので、それに書くようになったりして、5年日記はやめてしまったのです。

でも、思い立って、今日からまた始めることにしました。最後の5年日記はまだ3年分残っているので、そこから始めることにしました。
5年日記なので、別の年の同じ日に何をしたかも書きながらついでに見ることができて、ほんのメモ程度にしか書く部分は無いのですが、今も読んでいくと、昨日のことのように思い出されます。
子供たちが小さい頃の絵やら、手紙やらもはさんであって今日はそんなのを読んだりして過ごしてしまいました。

ニッキィが1歳になる1ヶ月前、紫斑病になって、急に私と二人で入院した日、今はもう亡くなったパパの友達ドブリに夜来てもらって、パパと私とニッキィとで、救急病院へ飛んでいった日の夜、ネディと謙が私に宛てて書いた手紙でした。
イヴがまだ小さくて、ネディが「ママ、すぐかえってくるよ」と言い聞かせている様子が手紙に書かれていました。
紫斑病はストレプトコッキというバクテリアのアレルギー反応だったらしく、いわゆるガンの一種の紫斑病ではなくて入院も1日ですんで、大事には至らなかったのですが、心配の大きな長い長い1日でした。
ネディと謙とイヴにとっても長い1日だったのでしょう。
私の従姉妹が小さい頃紫斑病になって長いこと入院していて、死ぬかもしれない、とみんなで心配していたことがあったので、ニッキィの体に紫斑が出てきたとき、従姉妹のそれとまったく同じ状態だったので、びっくりしたのでした。

{ネディの手紙}
1996年11月30日
ママへ
ママ、いつもどっかで いくと、こうふに こうふに いうよ、「もうすぐ くるよ イヴちゃん だからまっててね!」っていゆうのよ。 だけどいっつもおそーく おそーく くるのよ。
なんでですか、 が もんだいです。
こんどは、こんなにおそく こないでね。づーと まってたのよ。
わかっといてね、こんどには。
こんど おそく くるんだったら「ぶつ」よ! わかっといてね。
ネディより

{謙の手紙}
まま なんで こなかたの けんちゃん たち まてたよ
おすし たべたよ わかったね まま
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by obreykov | 2007-06-29 05:52

2007.06.27 イヴとニッキィはそれぞれ合宿

そう、我が家は昨晩から夫婦二人っきりなのです。こんなことって始めてかも。
ニッキィは先日日曜日にダーラナ地方のオッシャという町に昨年同様、フィギュアスケートの合宿に行きました。
ペールも行ったので、アンの運転で4人で行きました。ニッキィがちょっと風邪気味だったので心配していたのですが、1度、バスタオルはどこに入れてあるの?と電話してきて、電話しながら見つかったみたいで、ニッキィ特有の「じゃあ、ばいばい」ですぐ電話を切ろうとするから、「具合はどうなの?」とやっと訊いてみると「ちょっと、咳する、じゃあね、ばいばい。」といって切ってしまいました。

夏至祭り前から天気の悪かったストックホルムでしたが、だんだん回復してきたところでした。
翌日はイヴがやはり昨年同様、スパーレホルムへヴァイオリンの合宿に行きました。
イヴはイヴがとっても気に入っていたヴァイオリンを買ってあげたので、本当に喜んでいきました。
このヴァイオリンとの出会いは、なんとネディがクリスティーナ先生からずいぶん長いことお借りしていたヴァイオリンを購入させてもらおうということになり、近所のヴァイオリン、チェロ職人のスヴェンに鑑定をしてもらいに行ったときでした。
スヴェンが見せてくれた数台のヴァイオリンを弾いてみて、イヴはいっぺんにこのふるーいヴァイオリンが気に入ったのでした。
結局、クリスティーナ先生のヴァイオリンはもしかすると本物のバロックヴァイオリンかもしれなくて、中のサインも本にでているサインと同じことが書いてあり、もし本物だとするとかなりな高価なもので、スヴェンも鑑定する自信がないから、イギリスの専門家に見せるように、と言うことで、クリスティーナ先生にお返ししたのでした。
イヴが使っていたヴァイオリンの弦と弦を支える部分(日本語でなんと言うのか忘れてしまいました。)を取り替えるとかなりよい音になるとスヴェンが言うので、スヴェンに預けて調整をしてもらいました。
たいした金額にならずにまるで別の楽器のような音がでるようになり、ネディも満足しました。
もともとはこれはネディの楽器だったのですが、音が子供っぽいのでいやだと言って弾いていなかったので、大きくなったイヴが変わりに弾いていたのでした。

ネディはスヴェンのもっていた楽器の中で、ストラディヴァリウスのコピーのヴァイオリンの音がよいと言って気に入っていたようですが、イヴはやわらかい音のするふるーいヴァイオリンがいっぺんに気に入ったのでした。

イヴは別の楽器をクリスティーナ先生からお借りしていたのですが、そのヴァイオリンはイヴに言わせると“少し風邪気味で鼻声のような音がする”そうで、そのことを言うと、そのヴァイオリンの修理と調整をしたスヴェンはイヴの言いたいことよくわかる、と笑っていました。
スヴェンに言わせるとその楽器の調整はかなり苦労したそうで、これ以上の音にすることはできなかったから、あの楽器はお勧め品ではないということでした。
クリスティーナ先生も本人の気に入った楽器を見つけるまで購入しないほうがよいと貸してくださっていたので、学校も終了したので、もう一度スヴェンの処へイヴと行きました。

ネディが気に入っていたのは売れてしまっていましたが、イヴの気に入ったヴァイオリンはまるでイヴを待っていたように、スヴェンのアトリエの楽器の並んだケースに入っていました。
スヴェンは謙のチェロと同じ会社が作った新品のヴァイオリンも見せてくれました。
どの楽器もそうですが、ヴァイオリンは、それぞれがまったく違った響きをします。
ところが、その新品のヴァイオリンはイヴの好きなヴァイオリンとほとんど変わらない音色をしていたのでした。
スヴェンは同じ値段でよいといってくださり、この新品のヴァイオリンだと軽量のすばらしいケースと弓もかなり上等の弓がセットになっていると見せてくれ、素人の私にはこちらのほうが良さそうに思えたのです。
ところが、引き比べてみて、イヴはやっぱり初めに気に入ったほうが弾きやすい、ほんの少しだけ首のところが細くてイヴの手にぴったりくるというのです。
そんなに気に入ったのなら、それが一番だ、とスヴェンも言うし、結局、その古いヴァイオリンを買ってあげました。
「大丈夫?後悔しない?」といったら、スヴェンが「後悔したら、取替えにきたらよいよ。」といってくれました。
スヴェンは本当の職人気質で金儲け主義ではないので、好きです。謙のチェロもスヴェンから購入しましたが、本当によい音色です。

あまりいろいろ言わないイヴがスヴェンにあご当てが気になるので、別のに変えてくれないかと言いました。スヴェンはいろいろ見てくれたのですが、アトリエにちょうどよいのが無くて、変えてもらうことができなかったのですが、街の楽器店で早速別のあご当てを買ってあげました。

その足で、クリスティーナ先生に楽器を返しに行きながら、イヴの楽器も見せました。気に入った楽器にめぐり合ってよかったわねと快く喜んでくださいました。
その後、クリスティーナ先生の鼻声のヴァイオリンをクラスローフィオールの仲間の一人が楽器を探していて、貸してあげるととっても喜んで気に入って、購入するかも、と言うことでした。
十人十色、好みもそれぞれ違うのですね。

あとは、ネディにもう少しよい弓とヴァイオリンケースを買ってあげなくちゃ。
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by obreykov | 2007-06-28 01:01

2007.06.27 ネディと謙、東京へ

昨日、晴天のストックホルムを発ち、ネディと謙は東京へ向かいました。昼前、つまり日本では夜ですが、東京のネディの第2の家庭、留学時代にお世話になっていたホストファミリーの所へ到着したという連絡がありました。
ネディとも謙ともちょこっと話しましたが、ロンドンの乗り換えも問題なくすみ、元気そうで何よりです。
ちゃんと礼儀正しく暮らしてくれるかな。
心配は絶えません。

私たちも10日にこちらを発ち11日の夜遅くに熊本の両親のところに着く予定です。12にちにネディたちはジャパンレールパスというのを使って新幹線で途中下車したりして見物をしつつ、熊本までくる予定です。
その後は17日に京都のホテルを予約しており、京都見物をして東京へ戻るようです。

東京生まれ東京育ちの私が誰よりも東京へ行きたいのですが、ちび二人連れて行く元気も気力もありません。東京はまたまたお預けになりました。
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by obreykov | 2007-06-28 00:24

2007.06.27 あっという間に1ヶ月もたってしまいました。

1ヶ月も日記を書かなかったのは、始めは忙しかったのと、大きな仕事やら行事やら終わってほっとして気が抜けたのと、そうこうしているうちに、友人知人が相次いで亡くなってしまい、なんだかボーっとするというか、いやーな気分で毎日を過ごし、日記を書く雰囲気になれなかったというのが本当のところです。

なくなられた方々のご冥福を心からお祈りします。

6月は2歳で亡くなった妹の命日です。4歳だった私はほとんど覚えていないのですが、今生きていたらどんなによかっただろうと思います。
2歳まで生きていたのが不思議なくらい、両親の愛情のみで生きていたようなものだ、とお医者さんがおっしゃっていたそうですが、自分で子供を持ってみて、幼い子供を無くした父と母の気持ちを思うと、胸が痛みます。

私たちとごくごく親しくしていたチーチョ コーコ(コーコおじさんと呼んで親しんでいたのでした。)ネディの高校卒業のパーティに元気にきてくれていたのに、その1週間後には心臓発作で5日間集中治療室にいて、亡くなってしまったのです。
クリスマスや大晦日、夏至祭りなどという大きな行事の日はたいてい一緒にすごしました。
ネディが生まれたときは同じ病院でちょうど大動脈のバイパス手術をした時で、どの友人たちよりも早くネディを見に来てくれて、涙を浮かべて喜んでくれました。
かいていると、涙が出てきて、何も見えなくなります。
16日になくなったので、翌日ちょうどブルガリア教会があったので、めったに行かない私たちですが、チーチョ コーコを好きだった子供たちも一緒に蝋燭をともしに行きました。
神父様がコーコのために最後に特別のお祈りをしてくれました。
そしてなんと同じ頃、まだ50代くらいの別の知人も亡くなっていたことを知りました。

その上、先日母と電話で話したら、母の親友のご主人が亡くなっていたのでした。
“茅ヶ崎のおじちゃん”は、80歳を超えていたし、病気をしていたということなので、ご本人にとっては楽になったのかな、と思いますが、私は元気な頃のコーヒー好きの“茅ヶ崎のおじちゃん”しか知らないので、信じられません。
おばちゃんにお悔やみの電話をしなくちゃ、と思うのですが、なんと言ってよいのかわからないし声を聞いたら話なんてできなくなりそうなので、カードを送ろうと思います。
茅ヶ崎のおじちゃんの亡くなった日は私の小学校からの大切な友人だった“ぶーちゃん”の命日でもあります。
ぶーちゃんは何でぶーちゃんと呼ばれるようになったのかなあ。。。自分でも自分のことをぶー子って言っていました。ぶーちゃんというあだ名が好きだったのでしょう。
バレエをしていたとてもやさしい友達でした。6月18日になるとお通夜の日の中学生になったばかりのぶーちゃんが眠っているように横たわっていた状況が昨日のことのように思い出されます。

そして今日は、高校時代の同窓生が病気で亡くなったという知らせをいただきました。
あまりに速すぎます。
6月はジューンブライトなんていうけれど、私にとっての6月は命日ばかりで悲しい月です。

毎日をしっかり生きなくちゃ。

亡くなった方々のご冥福を心からお祈りします。
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by obreykov | 2007-06-27 23:15

2007.05.27 大きいコンサートも終わって。。。

火曜日の夜はヴァイオリンのコンサートでした。ここの学校では私たちは6クラス、約100人(正確にはコンサートの日は94人)生徒がいます。
私たちの勤務先の音楽文化学校のヴァイオリンをかき集めて私がもうひとつ行っている学校の私物のヴァイオリンさえ借り出して100台用意しました。
それを運んだり、するのも大仕事。
音大に行っている頃は音楽の教師がこんな力仕事が必要なんて、ひとつも習いませんでした。

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これらはコンサート会場のとなりにある、食堂を借り切って、控え室件ヴァイオリン置き場として使いました。
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携帯で写した写真です。携帯の簡単なカメラだからヴァイオリンすべてが写っていません。100台開いたヴァイオリンの数は相当な見ごたえがありました。こんな写真ではそのすごさ加減を表現できません。

私たちは19時からのコンサートのために13時30分から準備にかかりました。
それだけではありません。ヴァイオリンはいろいろなサイズがあるので、どの生徒がどのヴァイオリンを使うか、あらかじめ決めて、ヴァイオリンのサイズごとにヴァイオリンとケースに番号のシールを張り、名前のリストも作り、また、そのヴァイオリンがどこから借りたものかもチェックして、と、かなり準備に時間がかかりました。

コンサート自体は大成功。100人で弾くとやはりかなりなダイナミックさがあります。
でも、私は翌日、筋肉痛でした。足も、腕も、腰も。。。

そして、昨晩は日本人学校の運営委員会で夜遅くまで外出。本日はもうひとつの学校のヴァイオリンのコンサート。こちらは少し規模が小さいし、グループごとに程度が違っているので、グループごとのプログラムでした。
この学校の出身の生徒が半数以上いるイヴたちのクラスロー フィオールというアンサンブルもいつもこの学校のコンサートのときは客演出演をします。
ヴァイオリンを続けているとこんなに上手になるのですよ、というよい見本になってとてもよいようです。
それに、やっぱり、初心者のグループに比べたら、本当に上手になりました。
レパートリーも沢山あって、急に演奏を頼まれても困らないこのアンサンブルは私の同僚のクリスティーナが自慢のアンサンブルです。

クラスローフィオールがメロディーを弾いて在校生が第二ヴァイオリンを弾いて、共演したチキンの曲は本当に大成功でした。

今日のコンサートの前は、オフィシャルゲネプロでしたが、その後、私は文化学校に戻ってバレエの伴奏。ここでも、今学期最後の日なので、保護者を呼んでの小さい発表会でした。
明日も同様に小さいバレエの発表会があります。
忙しい忙しい1週間があっという間に終わります。
生徒たちからいただいたお花で家中が花で一杯になりました。
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by obreykov | 2007-06-01 06:35