<   2009年 01月 ( 9 )   > この月の画像一覧

2009.01.30 母の退院

まだ完治しては居ないのですが、家事などしない絶対安静を条件に母が退院して良い事になりました。
今日は、叔父夫婦がいつものように車で駆けつけてくれて父と私を乗せて、母の病院へ行ってくれました。

退院のとき、全員で院長先生から病状の説明などを聞き、本当に風邪が原因ではあったけれど、ほとんど手遅れ状態になっていて、肺腑種や、心臓肥大なども起こしてあと一歩で心筋梗塞さえ起こしそうになっていたようでした。
まあ、とにかく、完治はしていないものの、私がいる間に一度退院をして、今後の生活の練習をするようにという所です。

とりあえずは、ケータリングの会社もあるようなので、叔母が調べてきてくれて、早速、夕方その会社の人も訪問してくれ、説明を受け、月曜日からそれを利用してみる事となりました。
父はそういったものが大嫌いな性格ですが、とにかく私がいなくなってから、日々の買い物もできない状態で、家事も暫くはしないようにという事で、二人が完全によくなるまではそれで我慢して、と何とか強引に説得したのでした。
話を聞いてみるとこの辺でも数件利用しているようで、二人の生活にはかえってこんなものを利用した方が安上がりで、しかもカロリーや塩分などもしっかり計算されていてよいようです。
スウェーデンにもこんなのがあるなら、私はぜひ利用したいと思いました。
スウェーデンでは、ピザしか出前がありません。風邪をひいた時などうどんなどの出前がほしいとよく思いました。

久しぶり、母とゆっくり家でおしゃべりをして過ごしました。
夕食は叔母が持って来てくれたお赤飯と母の親友がわざわざ私のために新潟から取り寄せてくれた鮭を焼いて食べました。
母も喜んで食事をしてくれたし、この鮭は本当に美味しいものでした。
私もスウェーデンに帰ったら、塩水につけて塩鮭にしてこうしてアルミフォイルで包んでオーブントースターで焼いてみようと思いました。

夜は、テレビをそのままつけて母と話していると手塚治さんの特集をやっていました。
鉄腕アトムなど、懐かしいマンガも出てきて、見ているとリボンの騎士も出てきました。リボンの騎士を見ると思い出すのが、叔父です。
叔父が私がまだ小さい頃我が家に住んでいた頃、かならず、私に「なかよし」とか「りぼん」とか言う月刊の少女誌を買って来てくれていました。
私はリボンの騎士が好きで、いつも待ち遠しく待っていました。
だから、大きくなっても大人になってもこのリボンの騎士を見るたびにこの叔父のことを思い出していました。
叔父の部屋に行って、プロレスごっこをして「力道山の空手投げ』などといいながら布団の上に投げ飛ばされるのが大好きでした。

母の二人の弟の面倒を見た父も本当に素晴らしかったんだな、と思います。
そんな父が今は年を取ってイライラしたり怒りっぽくなっているのを見ると、心が痛みます。

父と母のところには還元水という身体によいという水を作る器械が備え付けてあります。私の従姉妹のご主人がその販売をして居るのですが、ちょうどカートリッジの交換時期になり、今日取り替えに従姉妹と一緒に来てくれました。
いろいろな話をしていて、『おじちゃん、イライラする時は還元水を飲んで腹式呼吸をするとよいですよ。また、俺が俺がの我をすてて、おかげ、おかげのげで生きていくとよいですよ。』という話に私は感動しました。
俺がした、俺がしてあげた、と自分中心に考えるのではなく、だれそれのおかげで今の幸せな自分があるという考え方に切り替えると自然に感謝の気持ち、優しい気持ちがわいてくるという理論です。
私も時間に追われイライラする毎日を過ごし、家族に当り散らしている事もよくもありますが、このように少し考え方を変えるとずいぶんと変わるだろうと反省しました。
[PR]
by obreykov | 2009-01-31 01:00 | 両親

2009.01.29 忙しい毎日

日本へきて、自分の仕事や子供の送り迎えや我が家の家事に追われる事はないものの、毎日病院通い、母の携帯の契約、病院、その他の色々な手続き、調べなくてはならないこと、などなど毎日あっという間に終わっていきます。
夫が2週間なんて短すぎる、もっと長期間行かなくては、といっていたのに、2週間しか取らずに来た私でしたが、昨晩も電話で、だから、2週間じゃ足りないといったのに、と言われてしまいました。
でも、私だって家族の事を全く考えないわけにもいきません。
父と母も大切であると同時に私の子供達も大切です。何とかなっているようですが、それと私の心配とはまた別の話。。。

母はおかげで、酸素吸入も取れ、まだ完治してはいないものの、退院をしても良い事となり、絶対安静が条件で明日、戻ってくる事となりました。
でも、正直なところ、病院にいてくれたほうが安心して居る事が出来ます。とはいっても私の目で年老いた両親が私がいなくなってどのように生活していくのかを見届けなくてもいけません。

昨日は病院のあとお墓参りに行って、親戚にも挨拶に行きました。そこには、叔母と従兄弟達が別の従姉妹を読んでいてくれて、今後どうして行ったら良いかの相談をしてくれましたが、結論が出るわけでもなく、。。。

二人がスウェーデンに来てくれるのならそれが一番安心ではありますが、もう、父が全くその気がありません。かといって母だけを連れて行くわけには行きません。母もそんな事出来ないといっています。
どうしてこんな遠いところにお嫁に行ってしまったのだろう。。。あの頃はそんな事考えてもいなかったのです。
でも、だからといって、一人娘で両親と離れられないから結婚できないなんて言えただろうか。またそうしていたら、現在の私はなくて、私の4人の子供も夫もいなくて、そんな生活想像も出来ないし、私はこの家族に出会えた事を本当に後悔はしていません。
夫も子供達も私にとっては大切な家族。そして、日本に残しているこの両親も大切な家族。

毎日、一部始終を電話で話せる母の弟夫婦がいるのが本当に私にとって大きな事です。
私の叔父であるわけですが、母と一回りも違っているのと私が小さい頃、我が家に住んでいて私の家から結婚をして巣立って言ったといってもよい叔父なので、私にとって、叔父であり、大きな兄であり、本当に頼りになる存在です。そんな人がいて、どんなに助かっている事か。
また、その奥さんも、私にとっては叔母というより大きな姉のような感じで、明るくて陽気で手芸が上手なその人は私とは血がつながっていないのに、とても私を可愛がってくれ、心配してくれ、本当に頼りになる人です。国際結婚なんて大反対をされると分かっている時、唯一相談できたのもこの叔母でした。
二人がまだ結婚していない頃、初めて家に来た彼女が家にあった毛糸でさっとモチーフを編んでこれを沢山つなげるといろいろなものが出来るのよ、と私にくれた時、一人っ子だった私はとても嬉しくて、本当のお姉さんが出来たような嬉しい気持ちでいっぱいになったのを今でもよく覚えています。不思議な事に、その二人に私の従姉妹が生まれた時は嬉しいより、私の叔父叔母をその従姉妹に取られたような嫉妬心が生まれたのも覚えています。でも、病院に初めて赤ちゃんを見に行ったら、そんな事すっかり忘れて嬉しかったのもよく覚えています。

母が具合悪くなってから、毎日のように食事を持って様子を見に来てくれたこの二人がいなかったら、母はきっと助かっていなかったでしょう。入院がもうすこし遅れたら、助かっていなかっただろうと医師に言われ、本当にどんなにこの二人に感謝している事か。。。
数年前に二人がこちらに引っ越してきた時はびっくりして、叔母が果たしてこんなところでなじんで生活していけるのだろうか、と心配しましたが、とても幸せそうに叔父の里での生活を二人でエンジョイしている様子を見て、私の両親のためにも、どんなに私は心強く、感謝した事か。。。

私の祖母はこの叔父を出産してまもなく亡くなってしまいました。
私がこの叔父と同じくらい好きで頼りにして居るもう一人の東京にいる叔父のやっと小学生になろうとしている頃の手を、今のニッキィの年の母がその幼い手を引いて、母親が亡くなった後、病院から家に歩いて帰った話を何度かきいた事があります。
幼い3人の子供を残してなくなった祖母はどんなに心残りだったろうと思うと、今、子供を持ってみてその無念さが良く分かるような気がします。私はその祖母の命日に生まれました。

夫が電話で、スウェーデンではなかなかサイズが合わずに買うのが困難な私の洋服を沢山買って来るように、といいますが、いつもの楽しい里帰りの時は、見るもの見るもの日本のものは素敵で洋服も靴も、家庭用品も何もかもほしくって買ってしまい、大荷物になってもって帰るのを四苦八苦するのですが、今回は、何を見ても、見るのも面倒で、とりあえず必要な下着やストッキングやらを買ったくらいで、人間、幸せな気分ではない時は物欲も何もなくなるのだなと思いました。食欲も余りないみたいです。いつもはあれも食べたい、これも食べたいと大変なのに、。。。今日は熊本の峰楽まんじゅうというのを一つだけかって店先で食べました。
いつもはまず10個買う品物です。一人だと食欲も沸きません。
生八橋も日本の空港につくとまず2箱かって空港で待ち時間に1箱食べてしまうのに、今回はやっと今日一箱食べ終わりました。

人は家族と周りのものがみんなが健康であれば幸せな気分になれ、食欲もやる気も何でも沸いてくるものなのです。
[PR]
by obreykov | 2009-01-30 00:02 | 両親

2009.01.25 日本にて

いつもだったら楽しい思い出うきうきしながら繰る日本でしたが、今回は本当にいやな帰国でした。
空港から直接母のところへ行くと酸素吸入もして本当に辛そうで、涙が出そうになりました。
でも、おかげで、だんだんとよくなりつつあるようで、昨日からは酸素吸入も取れ、多いな病院へ転院されることもなく、回復に向かっています。
入院が一日遅れていたら、手遅れになっていたそうです。
風邪の始まりの頃、起きる事も食事も出来なくなった母に救急車を呼ぼうかといった父に、救急車なんか呼ばないでといってそのまま食事も取らずに寝ていたようでした。
風邪は万病の元というとおり、私が叔父に様子を見に行ってもらいたくて電話した時、ちょうど叔父達も様子を見に行こうと出かけるところだったようでした。
そしてかかりつけの病院へ連れて行ってもらい、入院となったのですが、肺に水がたまり、呼吸が困難に成り、酸素不足から心臓も肥大して心筋梗塞を起こす寸前になっていたようでした。
もともとは急性気管支炎だったようですが、本当に風邪だからそのうち治るだろうと思うのはおそろしい事です。

父もうつっていたようで、熱がありましたので、私が付いた翌日叔父達に母の見舞いがてら父も連れて行き診察してもらって薬を貰ってきました。
もう、風邪の方は落ち着いたようで、大事に至らず、本当に安心しました。

ただ、父がかなりイライラして精神が高ぶっている様子が心配です。あんなにしっかりした人で厳しくはありましたが、優しい人だったので、困っています。
[PR]
by obreykov | 2009-01-26 00:26 | 両親

2009.01.20 はるばる日本へ

家族や同僚が進めてくれたので、思い切って日本へ来ました。
長い長い20年以上ぶりの一人旅でした。
飛行機の連絡は良かったのですが、今、うちに電話をしたりしていたら、バス乗り場に行くと熊本域のバスが出たばかりで後1時間後と言うことでした。
PCを開けてみるとインターネットにつながったので、メールの整理をしたりしていました。
母の弟が今日の夕方私が来ることを伝えてくれたようです。
どうぞ、少しでも良くなっていますように。
[PR]
by obreykov | 2009-01-20 14:29 | 旅行

2009.01.16 つくづく遠いと感じる日本とスウェーデン

ニッキィのLKF杯も何とか無事に金メダルを獲得し、3回転や2回転アクセルも失敗には終わったけれど、ターニャはまずまずのできにまあまあ満足げだったので、次のステップにがんばらなくちゃ、と言うところで、グスタフくんとニッキィを乗せて車で戻りました。

しばらく父と母と話していなかったので、電話をしてみるとなんだかいやな予感がしていたのが当たって母が具合悪くなっていました。父の説明ではいまひとつ良くわからない上に、やっと電話口に出た母が別人のように苦しそうに話しているので、日本が8時になるのを待って、母の弟夫婦に電話して見ました。
叔母は、母が風邪を引いているのは知っていたようですが、その後、電話にも出てこないので心配して、9時になったら様子を見に行こうと思っていたところだと言うのです。
本当に叔父と叔母が熊本に引っ越してくれて、助かりました。二人が熊本に引っ越してからは本当に私も安心していられる感じがしています。
しばらくして、また父に電話をしてみるとちょうど叔父叔母が来ているところで、病院へ連れて行こうとしている最中でした。3日以上も食事が全くできなかったようで、体力も全くなくなっているようでした。
その日は点滴をして戻ったようでしたが、翌日も叔父叔母が来てみると元気がないので、また病院へ連れて行き、入院をすることになりました。

と言うわけで、私は心配で、この数日きちんと寝ていない感じです。電話をするにも時差が8時間もあるので、本当につくづくと日本とスウェーデンの距離を感じたこのごろです。

今日は、入院先の病院にも電話をしてみました。院長先生は往診でお留守でしたが、看護婦さんがいろいろと様子を教えてくれました。肺炎にはなっていなかったそうですが、風邪の炎症自体は喉にあった様で、そこから、呼吸ができなくなり、酸素不足になり、と言うことだったようです。酸素吸入をして、ステロイドの点滴をして、昨日の39度の熱は下がり、今日は食事も半分ぐらいは食べたようで、看護婦さんが普段の母のような感じになってきていると話してくれたので、安心しました。昨日はこのままの様子なら大きな病院に移そうと言う話を院長先生がなさっていたようですが、今日の様子ではこのままここで治療を続けようと言う方針にしたということでした。

私は、本当にこの距離を感じました。家族をそのままに飛んでいくこともできず、父の話ではなんだか要領を得ないし、でも、本当に叔父叔母が助けてくれて助かりました。
この叔父は私が小さいころ我が家に住んでいたし、母とは一回りも違うので、私にとっては兄のような存在です。そして叔母も叔母とはいっても、私が小さいころに叔父と結婚して私にとってはまるで血のつながった義姉のような存在です。
年も離れていて外国人との結婚のことを絶対両親は大反対をするのがわかっていましたが、この叔父と叔母には相談することができました。
頑固な父のことも良くわかってくれているので、プライドの高い父は人の助けを求めず、「自分でできる」と言い張りますが、叔母が食事も届けてくれているので、本当に助かります。

今日は、父も少しは安心したのか、素直に(?)ありがたがって叔母の持ってきてくださった食事や果物をいただいていたようです。
ネディと話したがっていたようなので、ネディに電話させると本当に声まで変わって大喜びしていました。

父も咳をしているので、きっと母の風邪がうつっているのだと思います。二人とも80を過ぎているので、風邪と入っても馬鹿にできません。
とにかく健康が何よりの宝です。二人が元気でいてくれないと私も心配で寝不足になって体を壊してしまいます。私が寝込めば我が家のみんなも体調を崩し始めます。

早く良くなってくれますようにと神様に祈るのみです。このごろ神様にお願いすることが多くなっております。。。

ニッキィは来週末、エンショーピングの試合、対戦相手はいるのか、まだ、エントリーが出ていませんが、とにかくその次の週のノルディックスでの予行練習になるようにノルディックスと同じプログラムでやらせるとターニャがおっしゃっていました。
つまり、3回転と2回転アクセルを入れるのです。

ストックホルム杯(Stockhoom Trophyのエントリーが出ました。3月4日から8日まで9カ国から437名が出場するのですが、フィンランドやロシアのすごい選手たちも来るようで、対戦相手が7人の上、ほとんどがひとつ上のクラス(少年15)なので、大変ですが、ニッキィにとってきっと良い経験になると思います。

日本のスケート協会ではメダルを取るために10年くらいの長期計画で強化選手養成のシステムを作って荒川選手やその他の活躍中の選手を育成してきたそうです。
まるで、共産圏時代のロシアのようだと思いました。そんな国に勝てるわけがないな、と思ってしまいますが、インターネットでいろいろ次々と見ていたら、ニッキィくらいの子供が簡単に2回転アクセルや3回転ジャンプをこなしているので、びっくりしました。
審判の詳しい成績表を見ると。たぶん着氷も良かった上にプラス点があちらこちらについていました。どんな練習をしているのかしら。。。

スウェーデンでは選りすぐった選手と言う前に、まず、スケート人口が少なく、特に男子はテストさえクリアすれば、全国大会に出場できるし、こんなところで対戦相手も少なくやっていても井の中の蛙だな、とつくづく思いました。
[PR]
by obreykov | 2009-01-16 21:25 | 両親

2009.01.10 LKF 杯のショートプログラムを終えて

昨日ニッキィは奥歯がぐらぐらでどうしようと出かけていったので、私はニッキィが滑走中に奥歯が取れて飲み込んでしまった夢を見てしまいました。
今日、イヴを日本人学校へ連れて行って、そのままリンショーピングに向かいました。するとガムを食べていたら、ぽろっと取れた、といったので安心しました。

さて、ニッキィのショートですが、最初のトリプルサルコウの三回転に転倒してしまったためにコンビネーションがだめになってしまいました。残念。マイナス1点になり、技術点が及びませんでしたが、アントンのトレーナーが夕食後私たちのところに来て一緒にお話していたのですが、SMのときよりはとてもよい滑走をしていた、と言うことでした。アクセルジャンプしか見分けのつかないフィギュアスケートのことは何もわからない私は転倒してしまうとそれであらあらと思ってしまうのですが。。。
とはいっても小さいマンドゥスくん、転倒なしで、ニッキィとは1点ほどしか差をつけていません。ニッキィは芸術点を沢山もらったので、転倒の1点と技術点の0.01点差は何とか挽回したと言うわけです。
明日がんばらないと危ないぞ。。。
それにしてもダブルアクセルで回転が十分でなくかなりマイナス点をもらうより、1回転アクセルでプラス点をもらうほうが良い点が出るなんて、ちょっと変な感じがします。

どちらにしても、明日、何とかがんばってもらわないと。。。
青少年15歳Bと言うクラスのニッキィと同じ年の同じクラブの男の子、グスタフくん(彼もお母さんは日本人!)とラムティンくんは仲良く1位と2位を取りました!
ヴェロニカとジョセフィーンもショートの後3位と4位にいます。がんばれみんな!
[PR]
by obreykov | 2009-01-11 06:48 | フィギュアスケート

2009.01.09 明日はLKF杯

今週水曜日から学校も始まり、謙は今まで夕方まで寝て、夜に遊びに出かけていたのに、急に6時おきで学校へ行き始めました。
イヴとニッキィも木曜日より学校が始まり、まあ、それなりに早起きをしています。私も木曜日から仕事が始まり、また忙しい毎日となりました。
水曜日は子供たちの音楽のレッスンも始まった上に、イヴのヴァイオリンのアンサンブルでクリスティーナ先生のお宅で練習をして、親たちがそれぞれパイを焼いていき、一緒にその後夕食をするということもありました。
それはそれで、楽しい時間でしたが、忙しい中、ハムとほうれん草のパイを2皿作って、ひとつは家族において、もうひとつを持っていくと言う作業は本当に大忙しでした。

今日はニッキィは学校を早退して車の中でのサンドイッチ、ニッキィとヴェロニカとオリヴィアとでターニャの試合前最後のトレーニングをしていただき、帰ってからは、久しぶりにご飯を炊いておいたので、鮭の照り焼きと味噌汁とで食事をさせました。
16時少し前にお迎えが来て、ニッキィをストックホルム中央駅からリンショーピングまで連れて行ってもらいました。
一向は無事に着いたようです。ヴェロニカなど朝9時からの試合なので今日から出かけて言ったのですが、ニッキィの滑走は昼過ぎなので、私はイヴを日本人学校へ送ってからそのまま来るまでリンショーピングに向かおうと思っています。

ニッキィは三回転のトウループジャンプがどうもいまひとつ着氷できないことが多いので、コンビネーションにもはいっているから、どうなるのか。。。最後にダブルに変更するのか、それはターニャにまかせて。。。
それにダブルアクセルもいまいち正確ではありません。。。
対戦相手はSMのときの2位の小さい選手です。ショートはニッキィと3点弱しか差がなかったので、今回はかなりがんばらないと危ないかもしれません。

このごろ寝不足なので、夕方少し昼寝(夕寝?)をしたら、イヴが何かを訊きに来たとき、まるで朝まで寝てしまったような感覚でした。
さて、そろそろ寝なくちゃ。。。
[PR]
by obreykov | 2009-01-10 08:30 | フィギュアスケート

2008.01.06 お帰りなさいニッキィ

昨日はパパの誕生日。今年は私の具合がよくなかったり、指がいまひとつなので、大きなパーティーはしませんでした。
イヴが得意のメレンゲイチゴケーキをネディと作ってくれました。このごろ私の指のおかげで(?)私は家事をかなりサボらせてもらっています。。。

北の町にスケートの合宿に行っていたニッキィは5日に合宿が終わり、14時過ぎのバスで戻るはずでしたが、あまりに楽しいのでもう少しあちらの選手たちと一緒に過ごさせてほしいと連絡があり、ミッケのお母さんがバスの予約をしなおしてくれました。そのおかげで5日の夜に着くはずが夜行バスを取ったので、今朝6時に到着しました。
合宿などのときめったに携帯で連絡してこない子なのですが、今回は携帯電波がうまく届かないらしく全く連絡なしでした。あきれた!
でも、今朝、とってもうれしそうにいろいろと話してくれました。練習も充実していたようですし、自由時間もものすごく楽しかったといっていました。
ミッケとダンネがいつものようによく面倒見てくれたので、本当に感謝です。

昨日はものすごく冷え込んでマイナス20度近く会ったので、家も暖房が追いつかない感じで室温20度となっておりました。足なども冷え切っていたので、なかなか寝付かれず、やっと寝たかと思うともうニッキィを迎えに行かなければならず、帰ってからニッキィを寝かし、私ももう一度ベッドに入ったのですが、うとうとしたかと思うと電話で起こされてしまい、結局今日はなんだか寝不足。。。

午後は早速15時からヴァーレンテューナでスケートの練習で連れて行きました。紅白でも見ようと小さいパソコンを持っていったのですが、久しぶりにオリビアのお母さんが来たので、おしゃべりに花が咲いてしまいました。

今日は、7時近くに帰宅してから、肉まんつくりをしました。
私の指がまだいまひとつ水につけられない状態なので、使い捨てのゴム手袋をしての作業は結構難しかったので、子供たち総動員で作りました。調子の良い謙は台紙にする紙を切ったのみ。ほとんどイヴが手伝ってくれました。

中身が足りなくなったので、後は中身なしの中華蒸しパンになりました。
[PR]
by obreykov | 2009-01-07 07:24 | フィギュアスケート

2009.01.03 あけましておめでとうございます。

a0022183_20375955.jpg

2009年明けましておめでとうございます。

今年も健康第一でよい一年になりますように心からお祈りします。

我が家では、あわただしく2008年が過ぎ去り、2009年もあわただしく迎えました。私の風邪はすっかりよくなったのですが、指の切開のあとがいまひとつ良くならず、ついつい水仕事をしてしまい、ごく手袋もしてはいるのですが、水に使ってしまい傷口が開いてしまいます。

そんなこんなで、家事や料理はいつもの2倍も3倍も時間がかかる状態でした。
今年もネディも謙も友達との新年会だそうで、二人で別々のところへ出かけていき、イヴとニッキィが家に残り、ゾヤとボヤンが来ました。いつもより人数が少なかったので、かなり落ち着いたお正月を迎えた感じでした。
お料理はアスパラガスのスモークベーコン包み、ひれ肉のオーブン焼ききのこソース添え、にんにくの効いたポテトグラタン、そして、バクラバというあまーいシロップ漬けのブルガリアの胡桃のパイ。12時にはシャンパンとともにブルガリアのバーニッツァと言う福引入りのチーズパイでした。

大晦日に打ち上げられる花火にはたいていの犬は怖がり、精神安定剤を打ってもらう犬さえいるほどです。ミミちゃんもとても怖がり、花火や雷さんや風は大嫌いでした。
でも、ミオちゃんはなーんともない顔をしていました。怖くないのかな。

1時過ぎにお客様も帰宅し、3時ごろには大体の片付けも掃除さえも終わりました。するとネディが楽しそうに帰宅してきました。友達のお父さんが迎えに来てくれて送ってくれたそうです。
謙は私がシャワーを浴びおわり、そろそろ寝ようかとしていた4時ごろ飲みかけのシャンペンを持って帰ってきました。
パパがくれたと言うことですが、あとでパパがこんな高級なシャンペンを持っていって、とあきれていましたが、謙はちゃんとパパが何本か用意してキッチンに持ってきていたシャンペンの中からこの一本を選んでちゃんと「これ持って良いか」ときいたら、パパがチラッと見て「いいよ」と言ったのでした。よく見ないで返事したパパが悪いだけです。。。
それにしてもシャンペンの値段から価値からどこで知るんだろうと言うほど謙はいろいろ知っています。あきれるほど。。。
ネディはピッコロと言う本当に小さなシャンペンを買ってもって行ったのですが、ヨハンナと分けたと言うにもかかわらず、半分ほど残して持って帰っていました。私と同じでお酒あまり好きではないようです。

毎年元旦にはウィーンからのニューイヤーコンサートをゆっくりテレビで聴いて家族全員で散歩をするのですが、今年は謙とイヴが起きなかったのと、ニッキィがアンシャンスヴィークという来たの町にスケートの合宿に行くため私はそのお弁当つくりに前の日から下準備していた鶏のから揚げを揚げて、おにぎりを握りました。
そしてニッキィとネディとパパとミオちゃんと一緒に新年のお散歩をしました。

そのあとはパパとニッキィをストックホルムのバスターミナルまで送って、ミッケとダンネと待ち合わせて3人の男の子は7時間半かかってアンシャンスヴィークまで行きました。
携帯の信号がよろしくないようで、なかなか連絡が取れません。ミッケたちのママに電話すると何とかミッケが連絡してきて無事ついたと言うことがわかり安心しました。
ニッキィはただでさえめったに携帯で電話をしてくる子ではないのですが今回は特に連絡が取れません。
ニッキィとミッケはスウェーデンのスケート協会からスウェーデン代表でノルディックスという北欧とアイスランドの競技会に出場するように言われています。ダンネは補欠です。そんなわけで三人はターニャと集中練習をするためにいきました。

昨日は私もゆっくり古い日本のビデオやネディの持っている日本の映画などを観て過ごしました。ネディが紅白をダウンロードしているので、それが出来上がるのが楽しみです。
[PR]
by obreykov | 2009-01-03 21:54 | 徒然なる生活