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2011.12.07. 父、少し熱がでる

母はデイサービスに行く前いつもしていた指輪などを入れていたケースがないと大騒ぎしていたのに、家に戻るとちゃんと指にしているので、不思議の国に来た様な気分になります。
佐賀の従兄弟とも「まるで不思議の国にいるようですね」とよく話します。叔母も何度も何度もご飯を炊くようで、あるものが無くなったと思えば、ひょっこりでてきているし、佐賀の不思議の国のアリスと熊本の不思議の国のアリス、というあだ名を付けたくらいです。

私は、母がデイサービスに出かけてからすぐに11時の面会に行きました。
相変わらずで、目はあまり開けないながらも、謙が携帯に送ってくれたニッキィの写真を見せるとよく目で追って見ていました。やっぱりわかるのでしょう。
14時の面会の後、私はバスで父の実家の方へ行き、お墓参りをしました。
祖父母や父の姉兄弟、そして父の娘である私の妹などに、なんとか父が苦しくないようにと頼みました。
18時の面会に行くと少し熱がでたので、原因を調べている最中だと医師から説明がありました。
熱がでたということはどこか炎症があるのか、肺炎が悪化したのか、よくないことばかりを考えてしまいます。
肺の水を取る装置はついたままですが、急に出してしまうとよくないそうで、少しずつ水を出すのだそうです。
父は胸にはいっている水を出すための管がきっと延命治療のためだと勘違いしているのではないかと思いました。すぐにそのような管を取り外そうとするそうで、手も時々縛り付けられてることもあります。
そんな姿を見るのは本当に辛いのですが、それだけ力もあるのかと思うとうれしいような。。。
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by obreykov | 2012-06-17 08:57 | 両親

2011.12.06. 普通の人工呼吸にしてみたらしい

朝早く謙からニッキィの誕生日の時の写真が携帯に送ってきました。
朝のうち佐賀の従兄弟が再び車で来てくれて、ちょうど母もデイサービスがないので、病院に連れて行ってくれました。
先日彼が来てくれた時も目をあくことがなかったのですが、今回も目を開けてくれませんでした。
手は動かしていて従兄弟も手を握ってくれたり、話しかけてくれたり、私はニッキィの写真を見せたかったのに、とうとう目を開けなかったので見せることができませんでした。
先生が来て、私たちが行く前に30分ほど普通の人工呼吸器にして様子を見てみたことを知らせてくれました。
自分の力で呼吸ができるようになっていたら普通の人工呼吸器にするように方針を決めてくれたのでした。
もの凄い呼吸器は器械が無理に呼吸を指せている状態だそうで、私たちが車に乗って窓を開けたまま顔を出して口をあいている様な状態だと言うことでした。
でも、やはりまだ自分での呼吸が無理なようで、あのすごい人工呼吸器に戻されてしまったのでした。
それが苦しいのか、手で何度か呼吸器を取ろうという様な様子がうかがわれました。
苦しいのか、延命処置と勘違いしているのか。。。
3人で昼ご飯を外で食べて、従兄弟が母と私を家まで送ってくれて、お茶を飲みながらいろいろと話しました。
一人っ子の私にとって、こうして従兄弟が来てくれるのは本当に心強いものがあります。
特にこの従兄弟は東京で大学に通っていたので、そのころ私の家のすぐそばに下宿していてよく夜ご飯など食べにきていたから私にとってもかなり心強い従兄弟です。
しかも彼のお父さんは11月に亡くなり、お母さんは母と同じようにアルツハイマーがあり、状況が似ているので、いろいろな話をしました。
本家の従兄弟の息子も午後の面会に来てくれたようでした。
人間は元気な時はいつでも会えるという気持ちがあってなかなか会うこともなく過ごしてしまいますが、こうして誰かが病気になると普段会わなかった人たちとも会うことができます。もっと楽しい場面で会えたらよかったのにと思います。
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by obreykov | 2012-06-17 08:44 | 両親

2011.12.05. ニッキィの誕生日に父もだいぶ回復か。

誕生日に近しい人が亡くなったり、近しい人の命日に誕生したりということがよくあるので、実を言うと私はニッキィの誕生日のこの日、父がどうかなってしまったらというわずかながらの不安がありました。12月1日の父の母親の命日は無事に乗り越えたので、本当にニッキィの誕生日はどうかと心配でしたが、母をデイサービスに送り出した後11時の面会に行きました。
本家の叔母と母の弟夫婦が面会に来てくれて父も目をうっすら開け、あーあーとしか言うことはできなかったけれど、私は父の回復に本当にほっとしました。
叔母たちと久しぶりに「鈴の屋」という日本料亭でお昼をご一緒しました。上品な鈴弁当で、久しぶりに美味しく食事がのどを通って行った気分でした。
午後にもう一度私一人で面会に行きました。
相変わらずの父の様子に安堵して、インターネットカフェに行き、メールのチェックなどをしてから夕方には戻りました。母も元気であまり父のこと、深刻に考えていないのはかえってよいのかと思いました。
父の担当の先生とも話し、父が延命治療を受けたくなかったことなど話して、もの凄い装備の人工呼吸器なども本人に苦痛になっていないのかなど訊きました。
本人にしかわからないけれど、苦痛はあるだろうということで、できるだけ痛い思い、苦しい思いをさせないでほしいことを頼みました。
現在父にしていることはあくまで治療であり、延命治療ではないこと、現在の日本では、この治療を取りやめることはできないことなどの説明がありました。私は、安楽死をしてあげてほしいと行っているのではありません。
ただ、父のように回復の見込みのない病気を抱えていて、苦しい思いをさせて1日1日延ばして行くより、痛い思い苦しい思いをさせない様な方法をとってほしいと願うのです。
回復の見込みがあるのなら、少々苦しい思いをしても、なんとか治療して治してもらいたいけれど、父が苦しそうにしているのを見るのは本当に辛いことでした。
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by obreykov | 2012-06-17 08:30 | 両親