<   2012年 11月 ( 3 )   > この月の画像一覧

2011.12.09. 胸に穴が。。。

母をいつもの様にみつぐ苑のデイサービスに送り出してからすぐ病院へ出かけました。11時の面会に間に合うように。すると父の兄嫁である私の叔母も来てくれていました。
父は一時期とまったく違って目も開け、話しかけると「あーあー」といって、特に右目はしっかりとして顔も動かして私の方を見たりしてくれました。私のことがわかるのかな。目で追ってくれます。このまま良くなれば良いけれど。。。とにかく父が苦しまないように痛くないように、とそればかりを祈ります。
14時の面会にも行きました。前日のCTスキャンによると何と胸に穴もあいていることがわかったようです。
肺炎がひどいということなのでしょうか。肺の水も完全にとることができていないそうで、かといって急にだしてしまうと良くないそうで、その辺を細かく調整しながら治療をしているということです。
私は医学的なこと何もわからないけれど、水が入っているなら早くだしてしまって!穴があいているなら早く塞いであげて!と叫びたい気持ちで一杯でした。
父がどこまでわかっているのかわかりませんが、とにかく「夕方母も連れてまたくるね。」と行って私は家に戻りました。
私も今思えばかなり疲れていたのですが、あの頃はそれを感じている暇もありませんでした。

母がみつぐ苑から戻るのを待って、18時と19時30分の面会に間に合うように行きました。
父は小鼻の人工呼吸器のマスクの傷の手当をしてもらっているところでした。こんなに傷になるほどぎゅっとマスクを押し付けられていたのでしょう。それも辛いだろうなと思いました。
1ヶ月前に癌でなくなった叔父が同じ人工呼吸器をつけられており、一度外した時に医師に「お願いだからこの人工呼吸器はつけないでください。」と頼んだそうです。とても辛い人工呼吸器だそうです。
私もここの医師にきいてみたら、無理に呼吸をさせられている状態だから、私たちが車の窓から口を開けては知っている状態を想像したら良いと思います。ということでした。

でも自分の力で呼吸ができるようになったというのはすごいことだと思いました。
医師もあの人工呼吸器をあの時の状態で止める訳には行かないとおっしゃっていました。あくまで治療だから治療方針を変える訳にも行かないし、外したら呼吸ができなくなるというのをわかっていて外すわけにはいかないそうです。
[PR]
by obreykov | 2012-11-30 21:52 | 両親

2011.12.8. 人工呼吸器が普通のタイプに!

1年も前のことを書こうとしているのですが、まるで昨日のように思い出されるのが不思議です。
今日は、2012年11月30日、昨年の今頃は父が生と死と必死に戦っていた頃。。。
今、ここ、ストックホルムでは昨日からの小さな粉雪が降り続いて、すっかり銀世界となり、ミオの散歩もとても楽になりました。

さて、この1年前の12月8日は、入院中の父が一番良くなった日でもありました。
朝、母をみつぐ苑のデイサービスに送り出してから11時の面会にいくとちょうど検査に行ってベッドが留守の状態でした。私は、その間に銀行へ行ってお金をおろしたり、色々な用事を済ませて14時のめん貝に行きました。
すると昼頃から最新の機能ではあるけれどあの恐ろしげな、人工呼吸器を外しているということでした。小鼻の辺りには人工呼吸器で押さえつけられて傷になっていたのがとてもかわいそうでした。
先生が「自分の力で呼吸をしていますよ。」とおっしゃったので、本当にうれしくなり、父の耳元で何度も「よかったね、よかったね。」と言いました。
その後バスで家に戻り、母が戻ってくるのを待って、再び病院に18時の面会に一緒に行きました。
母はどこまで父の様子が把握できているのだろうという感じがありましたが、人工呼吸器が外せるようになったことを一緒に喜んでいました。病院で少しゆっくりと待合室で待たせてもらって次の19時30分の面会にも行きました。
このまま回復してくれれば良いけれど。とにかく父が苦しくないようにと祈るばかりでした。

街の真ん中にある病院ではありますが、街にでる元気もなかったので、母と二人、病院の食堂で夕食をとって帰りました。元気になるわかめうどんがとても美味しいのです。
タクシーで帰宅しました。早く父が良くなることを祈って。。。
[PR]
by obreykov | 2012-11-30 21:34 | 両親

2012.11.25. あれから1年

父が入院してちょうど今日で1年目。
父の入院から死に至までを記録しようとし始めて、途中でとまってしまいました。でも、辛いけれど少しずつでも書いて行こうと思います。

あれから、もう1年が過ぎてしまったなんて、まるで昨日の様でもあるし、もうずいぶんと時が流れた様な気もするし、不思議な気持ちです。父が亡くなってしまったのは事実で受け止めているのに、なんだか今頃になって実感がなかったりするから不思議です。何かあると、父に相談してみよう、と思っていて、あ、もういないんだ。。。と思うことが多々あります。
一時の悲しい気持ちが薄れてなんだか亡くなったのが事実ではなかった様な気がしてきます。
それに、あの頃の自分自身も一体どうやって毎日を過ごせて、瀕死の父を残して、スウェーデンに戻れたのだろう、と自分自身の気持ちもわからなくなります。
あの時、はたして私は父は亡くならず、良くなると思ったのだろうか。。。だから、ちょっとだけスウェーデンに戻ってまた来る、と父に言い残してスウェーデンに戻ったのだろうか。。。私は父が死ぬはずがないと思っていたのだろうか。父は私に戻るようにと願ったのだろうか。私が戻るのを待つようにしてなくなった父。「夜爪を切ると親の死に目に会えないぞ。」と言っていた父を思い出します。爪を夜に切ったことあるから父が亡くなるとき私はそばにいることができなかったのかなと思うことがあります。
でも、私ははたして、あの時のこって、父の最後に向き合うことができたのだろうか。。。
父が亡くなったということを考えないように、朝の仏さまにお茶をお供えしてお参りする時は父に向かって話すけれど、亡くなったという実感を考えないようにしていたのに、こうして書き始めると、涙があふれてくる。。。
どんなに辛い20日間を過ごしたのかと思うと、かわいそうでならない。何と強い人だったのだろうと思う。。。

夏休みには一人で日本へ行き、6週間の滞在をして、相続のこと、家のこと、色々な沢山の手続きをなんとか済ませて、母を天草への旅行にもつれていき、少し親孝行もできたようで、また、無事に初盆も済ませて、納骨もすることができました。
何十年ぶりかで東京の高校と小学校のクラス会にも出席することができました。

秋休みには2週間ではあったけれど謙とイヴを連れて、もう一度日本へ行って少し早めの1周忌を済ませることもできました。
この2週間は時間との戦いのようでしたが、予定していたすべてのことをなんとかこなして帰ることができました。

父の闘病の後半、また少しずつ綴っていこうと思います。
みんなが健康で幸せでありますように。
[PR]
by obreykov | 2012-11-26 07:45 | 両親