明日早朝はスウェーデンに帰らなくてはならないというこの日。父との面会もとりあえずは今回は最後の日と思って、父にも、一般病棟にうつって、少しずつでも回復に向かってよかったね、今度は孫たちも連れてくるからね、私は、いったんスウェーデンに戻るからね、ニッキィはスウェーデン選手権にもう出発しているから、私もスウェーデンに着いたらすぐに応援に駆けつけるのよ、うまくできるように応援してあげてね、等と父に話しかけました。
どこまで聞こえていたのでしょう。。。私も、あの時、本当にニッキィたち孫を連れてくるまで父が元気になっていると信じていたのでしょうか。今だに、あの時の自分がどんなだったのか何を考え、どう感じていたのか、わからなくなります。私の父に限っていなくなるなんてあり得ないとでも思っていたのでしょうか。 父とは会話もできないまま、でも、きっと私の声は聞こえていたのでしょう。涙を浮かべる時もありました。目を追って顔を動かす時もありました。 父の苦しげな声を聞くと、これ以上苦しめないで、と神様に祈っていました。完全に回復することがない病気を抱えていたのだから、覚悟はしていたはずなのに、私は父がいなくなるなんて考えても見ませんでした。 この日には、母も一緒に連れて行き、しばらくの別れを父としたのでした。母も私がいないと面会も行けません。母の弟夫婦に母がデイサービスのない日は面会ができるようにと頼んでおきました。 ちょうど、午後にみつぐ苑の先生ともう一人面会に来てくださいました。先生はここの国立病院の救命救急の医師であり、父の主治医である先生をよくご存じでした。この先生なら安心ですとおっしゃったので、私も本当に安心しました。 父の胸から水を取り出していましたが、その水に血も混じっていて、私は心配でした。医学のことは何もわからないから。。。みつぐ苑の先生もそれを見ていらっしゃいました。 今後の母のこと等も相談して、母があまり気落ちしていないことが何よりの救いだと話しました。 父としばしの別れをして、私たちは家に帰りました。 私は、翌日4時にはタクシーを呼んであったので、その日はもう寝ずに出発するつもりで、寝具も片付けてシーツ等洗濯しました。 荷造りをしていると、病院から父が危篤だと電話があり、母とタクシーで駆けつけました。 母の弟夫婦や父の兄嫁やその息子等も駆けつけてくれました。 私たちが到着すると父は少しもちなおして、危篤状態から少しだけ回復していました。 どうしたの、しっかりして!今からスウェーデンに戻って、今度は孫たちも連れてくるからそれまでにもう少し元気になっていてって言ったじゃない。と父に話しかけました。 どこまで聞こえていたのか、「あーあー」とさえ声を出すこともできました。 親戚のものは、スウェーデンに戻らずそのまま残った方が良いと言いました。それは父が危篤でいつ亡くなるかわからないから? 今までも危篤になったけれど、もちなおしたじゃない。一般病棟にうつれたじゃない。 色々な思いが頭の中をぐるぐると駆け巡り、本当に私はどうしたら良いのかわかりませんでした。 もちろん病院の先生もこうしなさい、とおっしゃれないのは当然のこと。でも、先生もいつどうなるか予想はできないとおっしゃります。 このまままた回復するかも、あるいは今日かも、明日かも、1ヶ月後かも、もっと先かも。。。 そんなこと神様だけがご存じなのです。 みんなは残るようにと言いましたが、夫と叔母だけは、とにかく一度予定通り戻って、それから改めてまたくれば良いと私の背中を押してくれました。 主治医と相談し、夜中の2時をタイムリミットとしてそれまで何も変化がなければ私にはもう連絡せず、そのままスウェーデンにいったん戻るということにし、もし、何か変化が起きたら、再び危篤状態になったら連絡をしてもらうということにして、私たちは家に戻りました。 もう一度、父にとりあえずのお別れをし、聞こえているか聞こえていないかわからないけれど、明日、いったんスウェーデンに戻って、ニッキィの応援をして、その後、またここに戻ってくるからねと言って別れました。 父の「あーあー」という声が聞こえている間はどうしても離れることができませんでしたが、少し落ち着いて眠る様な感じになった時に私と母は家に戻りました。 母も眠れないのか、私と一緒に起きていました。 私は荷造りの続きをして、時計とにらめっこで過ごしました。 1時半が過ぎ、2時になりました。 病院からは何も言ってきません。 私は父のクローゼットを開けました。 そこには父の洋服が整然と並んでいました。 父が好んで来ていたブレザーにすがって涙が出てきて、私は初めて、大泣きをしてしまいました。 ふと見ると、父が愛用していた、能面のなんといったか、ネクタイ変わりに首に下げていたものが目に入りました。 父は、飛行機が好きで、1年もたたないうちに、そろそろ飛行機に乗りたくなったなあといいながらスウェーデンに来るのが楽しみだったのに、あの、PSP進行性核上性麻痺という病気に冒されてから、スウェーデンに来ることができなくなってしまったのでした。 私はその能面を自分の首に下げ、父の変わりに連れて行こうと思いました。なんだか首に下げると父が一緒にいる様な気分になったのは本当に不思議でした。 そのまま、タクシーの来る4時になりました。 私はタクシーに乗り、母にはもう、二階の寝室に行って休むように言いました。母が部屋に入るのを確認して、私は父の建てた自慢の家を後に、熊本交通センターに行き、福岡空港への高速バスに乗りました。 福岡出発の前、家に電話しましたが、母は寝ているのか出てきません。叔母に電話しましたが、留守でした。そういえば叔父が毎週水曜日は通院していたんだったとおもい、成田に向かいました。 上空はよい天気で太陽が出ていて、私はふと、窓の外に何か気配を感じました。とても不思議な感覚でしたが、まるで、映画のスーパーマンがエンジンの壊れた機体を運びながら乗客が窓の外を見るとスーパーマンが飛行機とともに飛んでいるという場面が目に浮かぶ感じでした。 一生懸命外を見るけれど、スーパーマンなんて飛んでいないし、だれも外にいる訳ありません。 でも、私は、人の気配を感じたのでした。 あれは、今思うと、父の魂だったのでしょう。 父は私と一緒に、スウェーデンまで来ていたのでしょう。 成田について、電話をしてみるけれど、母はもう、みつぐ苑のデイサービスに出かけた時間。母の弟夫婦はきっと通院している病院へいるはずの時間。だから、私は、父の兄の家に電話をしました。従兄弟の奥さんがでて、「わあ、絵美子さん大変だったね。。。もう帰っているのね。。。」と言っていたのですが、それ以上はろくろく話しませんでした。 母の弟の携帯に電話してみて、ちょうど出たので、私は、父に万一のことがあったら、右の親指を上にして手を組んであげてね、と頼みました。 叔父はわかったわかったと言って、私はヨーロッパ便に乗りました。 夏のさわやかな日々、スウェーデンでは私たちはほとんど庭で食事をしていました。 特に子供たちが小さいころは父が庭先で本を読みながらプールで遊ぶ子供たちを見守っていてくれました。 そんなとき、手を組んでいたのを見て、右の親指が上になるように組んだり、反対に左が上になるように組んだりして、私は左が上にならないと気持ちが落ち着かないというと、父はその反対で、右が上でないと落ち着かないから自分が死んだ時は右上に組んでくれないと成仏できないから、覚えておいてくれ、と笑っていたのを思い出したからです。 そんな話をしたのに、叔父はわかったわかった、と言っただけで、道中の私に何もできなかったからしらせなかったのでしょう。でも、やはり、あの時私は父がもう駄目だったのを感じていたのだと思います。 家についてからも、母に電話するけれど、いないので、母の携帯に電話しました。 すると、ちょうど、火葬場から戻ってきたところだということでした。 私の父は、きっと、私に最後を見せたくなかったのでしょう。私にニッキィのもとへ行かせたかったのでしょう。だから、最後までがんばって、私をスウェーデンに帰したかったのでしょう。 父は私が高速バスに乗る頃、再び危篤状態になって、母の弟夫婦が母を迎えにいって病院に駆けつけ、6時6分にその生涯を終えたのでした。 私が飛行機の中で感じたのは、やっぱり父だったのです。
by obreykov
| 2012-12-19 21:10
| 両親
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