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パパが留守なので、土曜日には親しい友人を二人招いて楽しい夜を過ごしました。
一人はミミチャンとの出会いのきっかけを作ってくれた友人で、日本とスウェーデンの国立大学を3つも簡単に卒業してしまった才女。昔から頭のよい人が大好きだった私には最も尊敬する友人です。そしてもう一人は三代続く銀座を庭のようにしていたというちゃきちゃきの江戸っ子のお嬢様。子供の面倒と料理をさせたらこの人の右に出る人はいないと思うほどの主婦の鏡。この日もその辺のパン屋さんよりはずっと美味しいアンパンを沢山作ってきてくれました。 お互いに日本で結婚していたら出会うはずのなかった私たちです。 二人とも私にはないよい所を沢山持っていて本当によい友人たちです。 大人になってから得た友人というのはなかなか本音でお付き合いが出来ないものですが、私にとっては冗談も言えるし、相談も出来る大切な友人です。 土曜日はいつものように日本人学校に子供を送っていったりと忙しい1日ですが、二人が来てからゆっくりおしゃべりをしながら食事の用意も出来るし、と、普通のお客さんが来る時のようにあまり気を遣わずに出来るのが何よりでした。 案の定、すべての準備が整う前に二人の到着で、食事の準備も手伝ってもらいました。 女三人かしましく、楽しい時間はあっという間にすぎてしまいました。 食事の後はミミチャンを連れて3人で近所の散歩をしました。才女の友人はミミチャンが以前よりも落ち着いてお利口に、また、ますます可愛くなっているのにびっくりしていました。 翌日は天気もよかったので、イヴとニッキィとミミチャンとで、近所の森へ最後のブルーベリー摘みに行きました。 本当に今年最後という感じで、やっと見つけたのでした。いつもはすぐにいっぱいになってしまう袋もなかなか沢山にならず、熟れすぎているものやらしおれてしまっているものやら沢山ありました。 ネディにも食べさせたいとイヴがいうので、ほんの少しでしたが、ブルーベリーパイにはせず、ジャムにしましたら、小さなジャムのビン2つほどできました。 夜にはホッケーで金曜日からゴットランドに行っていた謙が帰ってきたので、駅まで迎えに行きました。 一度も電話をくれなかったので、どうしたのかと思っていましたが、楽しいのと忙しいので、電話どころではなかったようでした。 元気に帰ってきたのが何よりです。 指の怪我ももう治ったようです。 ![]() 12月にはスウェーデンのフィギュアスケート全国大会があり、ストックホルムフィギュアスケート協会の創立100周年も記念して、大会最終日にアイスショーもあるそうです。 その企画をしているのがニッキィのトレーナーです。ニッキィが参加しているスケート協会のプロジェクトの際、関係者が主役の小さな男の子の役を探し、ニッキィではどうかという話しになったそうです。でも、ニッキィもまだ小さいので、まずは両親の意見を聞いてからと言うことになったそうで、電話がかかってきました。夫婦でよく話し合って欲しいというので、さっそくパパに電話をしてみると、ニッキィが出たいのなら別に出しても構わないのではないかといい、ちょうど一緒にいた義姉は、そんな名誉なこと当然受けるべきだと喜んでくれました。 ![]() 私はというと、なんだか信じられない感じです。また、果たしてニッキィがそんな大役をやることが出来るのかも心配です。でもトレーナーがニッキィに出来そうもないことならはじめからこんな相談しないとおっしゃるので、お任せしようと思いました。さっそくアイスショーのもととなるスウェーデンの物語のオッレのスキーという絵本を買いに行ってニッキィにあげました。 昨日のトレーニングは1時間だけだったので、私も残って上のクラブ室から練習を見ていました。 ニッキィもサンナも一番小さな二人ですが大きな選手たちと一緒になって、何とか皆についていってやっている様子を見て、サンナのお父さんとずいぶん二人とも上手になったものだと話しました。 昨日はスウェーデン全国大会にも出るような選手と一緒に、ダブルアクセルやダブルトーロップ、ダブルサルコウを何度も何度も練習していました。 ネディが戻ってきたら、二人の成長ぶりには本当にびっくりすることでしょう。 ▲
by obreykov
| 2004-09-28 20:41
食欲の秋、いま一番食べたいものは?
今、一番食べたい秋の味覚は運動会の頃母が作ってくれた栗ご飯。それと運動会に必ず持っていった栗。栗を半分に割って、スプーンでほじくって食べたあの美味しさは忘れられません。 それに、さつまいも。ただそのまま蒸したものも、またきんとんにしてもらったものも、どちらも食べたいです。 そして、かぼちゃの煮たのも食べたいなあ。これは夏に実家に戻った時にたっぷり食べさせてもらいましたが。 天高く馬肥ゆる秋なのですね。 こちらスウェーデンでは、どんよりとした毎日ですが、とうとう雨が降り出してしまいました。 運動会というものはスウェーデンの学校で特別やらないのですが、今日は小学校5年生の次男の学校で、そのようなものがあり、お弁当持ちで地域の運動場へ行きました。ちなみにスウェーデンの走り高跳びであちこちの大会でメダルを取ったカイサはここのクラブ出身で、練習姿も何度か見かけましたし、子供たちの幼稚園の先生はカイサのお母さんです。 運動会と言っても日本の様に親兄弟も行くようなものではないし、あのような楽しい種目も無いのですが、何とか雨が降らずによかったです。 お弁当には細巻寿司が良いといったので早起きして作ってあげました。友達にはぼくのお弁当、びっくりしないでね、と言って開けたそうですが、スウェーデン人の友達は、ア、本当のお寿司?!とびっくりしたようです。 ▲
by obreykov
| 2004-09-22 22:33
日本でも同級生がクラスメートを殺してしまったり、幼い兄弟が誘拐殺人をされたりと嫌な事件があっているようですが、この平和なストックホルムでもつい先日16歳の青年が14歳の少年をナイフで心臓一突き、殺害してしまいました。
しかも、それが起きたのは私たちの住んでいる地域で、いろいろ話しを聞いていると、殺された少年は謙と同じ学校の同じ学年の別のクラスの女の子がその少年のガールフレンドだったかとかで、今もその女生徒は学校に来ていないようです。 そして私の知り合いの息子のクラスメートだったり、別の知り合いの近所だったりと、私とは直接関係ないにしても、間接的に身近な人だったし、謙と同い年ということで、なんとも嫌な感じです。 昨日はイヴが殺害した16歳の青年の妹がイヴの学校に居るとか、イヴの友達がその人の近所だと言うこともきき、またまた複雑な嫌な感じです。 殺されたほうも可哀相だし、殺したほうもその家族を含めて一生人生が変わってしまったわけです。 誰かが、他人と自分の命を奪う以外はたいていのことはとり返しがつく、償いが出来ると言っていましたが、それは全く本当のことだと思います。 移民グループと愛国主義のグループの衝突でとメディアでは伝えており、週末にはデモ行進があったようですが、本当の所はよく分かりません。殺された少年のガールフレンドはチリ人だし、本人も二世のようで、どこまでが本当なのかよく分かりません。 金曜日の夜、若者が集まってバーベキューをしていた所で起きた事件なので、沢山の青少年の目撃者がいたわけなのですが、殺害した青年は直後、気絶をしたということなので、佐世保の事件とは性格の違ったものだったと思います。 うちの子供たちとその友達たちはそのような場所に行っていないので、よかったと夫に話すと、いつも行っていなくてもたまたまそこに居合わせただけでおこるのが事件だから、安心はしていられないと言っていました。 全く、その通り、たまたま頭の狂った人に出会ってしまい殺されてしまう人もいるのですから... 世界ももう平和が来るだろう、と思っていたのに、ますます色々な事件が世界のあちこちで相次いでいます。戦争の終わらない地域もたくさんあります。 一体全体、世界はどうしてしまったのでしょう。 ▲
by obreykov
| 2004-09-21 16:22
日本の生活が楽しくてたまらず、学校もホストファミリーでもうまくいっているネディがこの前、誕生日の時に電話で話した際、剣道部の練習が毎日で帰宅も遅く、勉強する暇もないくらいだとぼやいていました。詳しい様子は分からないのですが、かなり練習が厳しいだけでなく、部員たちからの要求も厳しいようで、弱気になっていたので、とても心配していましたが、ホストファミリーのみんなが相談に乗ってくれたり、いろいろ意見を言ってくれたり、かなり力になってくれている様子で、数日前は本当に心配なメールが来ましたが、今は少し落ち着いたようです。
でも、楽しいばかりの日本の生活だけでなく、少しくらい悩みが合ったり、困難を乗り越えてこそ、後で良い経験にもなれば、思い出にもなるだろうと前向きに考えて乗り越えてくれればよいといつも神様仏様にお守りくださいとお祈りしています。 こちらは相変わらず、忙しい毎日がすぎていきます。 日本人学校に子供を送っていった日が私の唯一のストレス解消日です。 友達と素敵な昔風の喫茶店で、美味しいケーキを食べながら色々な話しをしたり、その後それぞれ別れて買い物をしたり、私は先週からオークションにいくようになりました。 オークションは10年、いいえ、もっと前に夫がかなり凝ってしまって通っていた時期がありました。アンティークな懐中時計などを買いあさっていましたが、今はインターネットで家にいながら競りを入れることが出来る時代になりました。 私も素敵なサファイアのリングとイヤリングとペンダントセットに最高いくらまで、という方法で、競りました。入札の時まで、私の最高額よりほんの少し下の額でとまっていたので、これは手に入るかなと思っていたのですが、ちょうど入札日に仕事で、インターネットを見ることが出来ず、後で見てみるとほんのちょっとの事で、別の人に落とされてしまい、がっかりしてしまいました。 質流れ品で、かなり素敵だったのですが、ちょっとのところで手に入りませんでした。でも、なんだか、宝くじを買った時のようなワクワクした楽しい気分が味あえてよかったかな、と考えるようにしました。 今週はたいした物がなかったので、残念... 今日は朝からニッキィがストックホルムフィギュアスケート協会のプロジェクトがあり、連れていってから、友人の所に女だけのランチに呼ばれていきました。 みんなスウェーデン人ですが、それぞれの夫がうちと同じブルガリア人で、結構共通の話題があり、楽しく過ごすことができました。 二人はすでにブルガリアに行っており、うちも来週ブルガリアに行くようです。ブルガリアはもうすぐ国際見本市の季節です。 そんなわけで、今日は謙のホッケーの写真撮影がありましたが、その送り迎えもニッキィの迎えもパパがして、その上に洗車も昨日からしています。 昨日はミミチャンの散歩がてらガソリンスタンドで、ワックスを買って、ミミチャンが家までそれをくわえて運んだ、とえらく自慢していました。 私の父も洗車をすると必ず、雨が降ってきていましたが、こちらもせっかく洗車したのに、やっぱり午後は雨が降り始めました。しかもわざわざマンションに住んでいる友達まで来て洗車をしていたのに、可哀相なことです。 そうそう、昨日は友人に日本のドラマでホッケー選手を主人公にしたビデオを借りました。夜はそれぞれがあちらこちらのテレビを見たり、コンピューターをしたりして、私はうちの一番よいテレビをぶん取って、夜中まで、いっきに見てしまいました。 とても人気のある俳優の様ですが、ホッケーをしている息子を持っている私に言わせるとちょっと嘘っぽい感じもしないではなかったのですが、主人公が9番の背番号だったので、懐かしい様な、複雑な気持ちでみました。 なぜなら、謙が2年間ほど9番で、ちょうど試合に出るようになった弟のイヴも背番号を選べる時兄の真似をして9番をもらい、私は9番という背番号をいつも応援していたのでした。 謙の指の包帯は取れましたが、まだ指の力がないようで、クラブをしっかりつかめないようです。 ドラマほど激しくはありませんがホッケーもかなり過激なスポーツなので、またまた心配が絶えません。 ▲
by obreykov
| 2004-09-13 02:46
このごろあっという間に日にちがすぎていってしまいます。子供たちも何とか新学期のペースが出来てきました。それに伴ってそれぞれの学校の父母会に大忙しです。父母会にはほとんど顔を出したことのないパパにも今年は学校が変わったりしたし、何とか時間を作ってちょうだいとお願いして先週は謙の学校へ、昨日はイヴの学校へ一緒に連れて行きました。
謙の学校は今までよりももっと近くなり、先生も前の学校の先生が数人入っている上、謙の担任はネディの好きだった数学の先生、しかもクラスメートは前の学校の2クラスの良い子ばかりを集めたようなクラスなので、本当に安心しています。 子供たちも授業は良いし、友達もうるさい生徒などがいないので、満足しているようですが、学校自体が小さいため、休み時間などの居場所があまりないと不服の様です。でも、今までは英語のインターナショナルスクールだったのが、スウェーデン語の理数科が出来て(つまり廃校された学校の理数科が移ったようなものですが)学校も新しい事に挑戦する感じで、力を入れている様子がうかがえます。 パパが父母会に顔を出すのはスウェーデンでは極普通のことですが、うちでは希なことです。以前、父母会が重なって、パパに行ってもらったこともありましたが、どんなことを話したのか後で聞くと、別に...と何の情報も得られなかったので、私が行くようになったのでした。 今回は二人でいったので、友人が、あら結婚していたのね、と冗談を言ったくらいです。 イヴの学校はバスですぐの所ですが、毎朝、バスに乗り遅れないように送り出すまでが戦争のようです。 私は学校を決めるに当たって見学に行ったり、決まってから子供と挨拶に行ったり、始業式の時も行ったりしたので、学校の雰囲気は知っておりましたが、パパははじめてで、とても落ち着いたよさそうな学校なのですっかり気に入っていました。 昔、すぐ近所に住んでいた人が同じクラスにいたり、謙のホッケーとサッカーのチームの子の弟がいたりで、私がすぐにそのお母さん達と話し始めていたので、パパはこんな所にも友達がいるの、とびっくりしていました。 そうです。犬の散歩にも私が行くので、この辺でも私の知り合いは相当な量です。しかも子供のクラブやお稽古事でも色々な人と知り合うので、スウェーデン生活の長いパパよりも私のほうがむしろ知り合いは多いかもしれません。 さてさて、話しがずれましたが、イヴもロベルトもすっかりクラスにも慣れたようで、先生もとても良い子達が転校してきたと紹介してくれたので、私たちも安心しました。親馬鹿かもしれませんが、本当にあの二人は子供からも大人からも好かれる好感のもてる子供たちです。人間としてそれが何よりも一番大切なことだと思います。 さて、日本のニュースを見ていたら、台風がものすごいということを言っており、熊本地方もひどかったようなので、電話をしてみました。 15年ほど前に父がブルガリアで私たちの義兄からもらってきた胡桃そのものから植えた胡桃の木がとても大きくなってやっとこの2、3年で実を付けたのですが、残念なことに大きいほうの胡桃が折れてしまったとがっかりしていました。亡くなった義兄が義姉と一緒に一生懸命取ってくれた胡桃で、義兄が亡くなると同じ頃、ブルガリアの親の胡桃は枯れてしまったのでした。それを受け継ぐかのようにずっと実を結ばなかった熊本の胡桃の木に胡桃がなりはじめたのでした。 ネディがちょうど2歳になった時父も母も一緒に車でヨーロッパを旅行してブルガリアにも行ったのでした。別荘の胡桃の木から実を落として柔らかい殻を割って真っ白の胡桃の実を食べさせてくれたのでした。 植木の好きな父は日本でさっそく植えて大事に育てたのでした。 その他、母の叔父が植えてくれた梅の木も、またさるすべりも根こそぎ倒れてしまい、玄関先の椰子の木も折れてしまったとがっかりしていました。 この椰子の木にセミの幼虫が一生懸命登っていく所を夏に子供たちと観察したのでした。 父と母はかなりがっかりしていましたが、水害やらで家をなくしたり、親しい人を亡くしたりした人たちの事を思えば、父と母が無事だったのだから、きっと亡くなった母の叔父や義兄が守ってくれ、思い出の木々が身代わりになってくれたと思いましょうと話したのでした。 日本は本当に台風やら地震やらの災害にいつも気を付けていなくてはなりません。気を付けたって何も出来ない恐ろしい天災もあります。 今も台風が日本を襲っているようですが、どうか、大きな被害が出ません様に、と遠くスウェーデンから祈っています。 ▲
by obreykov
| 2004-09-07 17:02
今日はネディの誕生日。17歳になったなんて本当に信じられません。
ネディが生まれたときのことは今でもはっきりと覚えています。私もはじめての出産だったし、スウェーデン語もまだよく出来なかったので、不安でたまらない出産でした。手伝いに来ていた父と母に言わせれば、ものすごい安産だったということですが、私には長い長い1日でした。 ネディが生まれてパパがへその緒を切って、すぐに私のお腹の上に腹ばいになったネディがぱっちりと目を開けて私をじっと見ていたあの目が今でも目を閉じるとはっきりと思い出されます。 泣き虫だったネディが今は一人で日本に行っているなんて本当に嘘のようです。 でも4歳の時、熊本に行った際、親戚一同で金峰山という山に登りました。謙は父の車で登ってきましたが、ネディは町からみんなと一緒に徒歩で登り切りました。 途中で謙たちと合流したのですが、やっぱり最後の部分も徒歩で登ると言って頂上まで登ったのには親戚一同びっくりしました。 あのころからちょっと頑固な意志の強い性格が出来つつあったのでしょう。 今日は日本は新学期で、朝も忙しいだろうし、時差の関係もあるので、昨日のうちにおめでとうとネディに電話しました。 久しぶりに話すと元気そうだし、新学期に向けて最後の宿題をやったりネディなりにクラブ活動のことを悩んだり、少し夏ばてはしているようですが、がんばっている様子が分かり安心しました。 何事もいいかげんに出来ない正確なのか、宿題にしても、クラブ活動にしても一生懸命になってしまい、目的までいかないと自己嫌悪に陥ってしまうようです。 もう少しリラックスして生活してくれればと思いますが、それがまたネディの良い所かもしれません。 ネディ本人のいない誕生日はこれで2度目です。1度目はちょうど学校からクラスの旅行に行っていて留守でした。でも、数日遅れでケーキを一緒に食べました。 今度は新年すぎてからしか戻ってこないので、ケーキはしばらくお預けです。 さて、こちらは、というと、土曜日にはイヴとニッキィは日本人学校を早退して、クラスロー学校の創立200年記念行事に出席しました。 朝は雨がちらついていましたが、昼からはカラッと晴天になり当時の洋服を着た子供たちが当時の様に門番をして通る人から小銭をもらい、みんなでそのお金を取り合うという状況も再現してみました。それは有名な画家が描いたローテブローの門番をしていた子供たちがお金を奪い合っている絵と全く同じでお年寄りは喜んでいました。 ネディやイヴのヴァイオリンの教師でもあり、私の仕事仲間でもあるクリスティーナがプログラムの進行をしてそれはそれは素晴らしい創立200年記念行事でした。 イヴを含む少年少女のヴァイオリンの民族音楽もなかなか可愛らしくネディが小さいころを思い出しました。 家に戻ると玄関には大きな靴が沢山並んでおり、謙の日本人学校の友達たちが来ていました。すっかり大きくなって、私たちがいなくても自分たちで色々とやっているし、寝る用意も自分たちでベッドソファをベッドにしたりシーツを敷いたりと、世話無しでした。私はただ食事の支度をするだけでした。 とはいっても食べ盛りの男の子ばかりで、あっという間に山のように作った物も無くなってしまいました。 翌日はパンを焼いてあげると喜んで食べてくれ、ニッキィは、ストックホルムフィギュアスケート協会のプロジェクトに参加しました。エリート選手のプロジェクトにはニッキィのクラブからもローロやエリカが来ていたし、ニッキィたち男の子のプロジェクトにはぺールもいたので楽しかったようです。 その日はオフアイスのテストがあったようでした。 私は久しぶりストックホルムの南地域の素敵なケーキ屋さんでぺールのママと楽しいおしゃべりをしました。 昨日は熊本の父母もネディにお祝いの電話をしたようで、その後こちらにも電話があり、ネディがやっぱり親子ねえ、ママも1日は新学期だから忙しいでしょうとさっき電話してきたのよ、と言っていたと、言いました。 孫に、やっぱり親子ねえ、と言われるなんてと母も笑っていました。 ▲
by obreykov
| 2004-09-01 16:12
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