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膝が痛いニッキィは、結局、痛くない程度の練習はして良いということで、別にものすごい怪我をしているわけではないらしいので、少しは安心ですが、ジャンプはしてはいけないし、痛いと感じたら練習もやめなくてはならないという条件でやっております。不幸中の幸いというか、先週は、風邪を引いたらしく喉が痛いので、喉が痛いときはスポーツ選手は練習を控えなくてはならないというところから、木曜日からスケートは休んでおりました。
月曜日にスタッファンという専門家に、水曜日はペーテルという専門家に診てもらいました。二人とも同じ意見で、3週間の休みのあと急にハードな練習をしすぎて体が追いついていかなくなったから、ということです。やはり3回転の練習は大変なのでしょうか。 水曜日の帰りには、入院しているダンネの病院へもお見舞いに行きました。もともとスマートなダンネでしたが、すっかりやせて目もくぼんでしまって、2週間以上も熱が上がったり下がったりを繰り返し、本当に痛々しげでした。腕には刺すところがないほど点滴の後が沢山。。。 でも、週末には退院ができて、本当に良かったです。 恐ろしいほどの抗生物質を投与されているようですが、ほんとに早く元気になって、ダンネとミッケとニッキィの氷の上での練習を見たいな、と思いました。3人が3回転を練習するのを見るのは本当にいつになるでしょう。 ニッキィは本当は先週、強化選手の合宿に参加することになっていたのに、それも行くことがでず、来週予定されていたオーストリアでのジュニアグランプリにもいくことができず、しかも9月末のエリートシリーズの第1戦もニッキィとダンネは出ることができません。 なんというシーズンの始まりでしょう。。。 早くダンネとニッキィが元気に氷の上を跳べるようになりますように。。。 ▲
by obreykov
| 2010-08-31 04:25
| フィギュアスケート
イヴの日本人学校時代の友人が数年前からピアノに興味を持ち出して、久石譲の曲から始まって今はクラシック音楽も弾いているという話は、前にも書きました。
彼から「本物のグランドピアノで練習をしたいからピアノを貸してくださいますか?」と、ものすごく丁寧な言葉で電話がかかってきました。 イヴと信じられないようないたずらをして外で遊びまわっていた小さいころから良く知っている子なので、本当にこんな丁寧なお電話いただいて、私のほうが対応に困ってしまうほどでした。 結局、その子やうちの弟たちが日本人学校が終わったときに一緒に我が家に来て練習をすることになりました。 私は、我が家のパパが水曜日から1ヶ月ブルガリアに行ってしまったので、誰かが来てくれるのは嬉しいことでした。 イヴは、友達のピアノの練習の邪魔になるからって、自分の友人のところへ行きましたが、私が夕食にバーベキューをしようと思っていたので、我が家ではバーベキューはいつもイヴたち、男の子の仕事だったので、その友達も一緒でよいなら夕食の時間に帰ってくるといいました。 イヴは結構、このように良く気を利かせて思いやりがある子なので、私は大好きです。 さてさて、ピアノの練習の合間には、お母さんが用意してくれたカップラーメンを私たちもいただきました。 そのお母さんと私はとてもよい友人関係を保っております。年代はものすごく離れているのに、彼女もすっかりお母さんになって、私は万年36歳といっているのも手伝って、年代を超えてよい友人関係が保たれているのは嬉しいことだと思います。 彼女も私も、眠り姫になるのが大好きです。特に土曜日の午後のお昼寝は最高です。 私は、この日はとても張り切っていたので、バーベキューの下準備を始めましたが、彼女にはどうぞ横になって、と勧めて私のお気に入りの昼寝の場所、リビングのソファーなのですが、そこを提供しました。 犬のミオをそこの足元に座らせての昼寝が最高なのですが、何を勘違いしたのかミオもすぐそのソファにのってくるので、だめだめと追いやって彼女を寝かしました。 嬉しいことに、とてもくつろいでくれて、すやすやと眠ってしまいました! 私は、つい嬉しくなって、ブルガリアのヨーグルトでできた冷たいスープ、新じゃがのこふきいも、肉きってバーベキューの漬け汁につけ、色々な野菜も温野菜として焼けるように準備し、サラダも用意したころ、イヴも友人たちと戻ってきてバーベキューに火をおこして、ニッキィは外のテーブルセッティングをしてくれて、そのころ、我が家にやってきた眠り姫が王子様のキスなしで、目覚めてきました。 彼女と私は全く違った性格の違った人間なのですが、(色々話を聞いていると、どうも彼女の旦那様と私が結構似ているんだと思います。)なぜか気が合い、家の中もしっちゃかめっちゃかな状態でもまあいいかって、お呼びすることができるのは、なんとも嬉しいことです。全く違った性格とはいっても、結構似ている部分も沢山あるのかもしれません。 しかも、そんな彼女が私の包丁の音を聞きながらすやすやと爆睡してくれるのも、なんとも嬉しいことでした。 車で連れてきてあげた上に、夕食も息子二人とお母さんにご馳走して、ピアノも貸してあげて、しかも昼寝までつけてあげたとは!グランドホテル1泊とディナーくらいの貸しができたぞ!(笑) このことをここに書くことに許可をしてくれた友人、爆睡の写真を撮っておけばよかった、と後で二人で残念がりました。 ▲
by obreykov
| 2010-08-31 04:08
いつも健康が第一と思ってすごしていますが、今ほどそれを思い知らされることってありません。
あれからニッキィは膝の痛みでスケートの練習がほとんどできません。 振り付けをやったり、ステップだけの練習をしたり。。。でもトレーナーのターニャもしばらく休んでも良くならないから心配して、本日、専門家に診てもらうことになっています。 普段痛いわけではないので、いわゆる成長痛ではない感じがします。 使い始めると(スケートを始めたり、特にジャンプ、また、走ったり、階段の上り下りなど)痛くなるようです。変な怪我で泣ければよいけれど。。。 また、ダンネの高熱は敗血症ということで、高熱が引いたかと思うとまた高熱の繰り返しで、もう1週間以上たっているのにいまだに退院できない状態でおります。 いったい、どうしてしまったのでしょう。。。 ターニャも二人も選手が練習できない状態で、心配がかなり大きいようです。 ニッキィは今週予定されていた強化選手の合宿にも参加できそうもありません。また、ジュニアグランプリも無理です。まあ、これは不幸中の幸いというか、ターニャはまだニッキィをそんなところに出したくないというところなのですが、スケート協会が結構急いでいるような歩調の合わない感じがあったので。。。 本来はニッキィはまだ青少年のクラスなのに、ジュニアのクラスで試合に出なくてはならず、プログラムも青少年用とジュニア用と時間が多少違っているので、4種類も用意しなくてはならないのが、大変だと思っていました。 まあ、どちらにせよ、とにかくニッキィの膝とダンネの病気が良くなることを毎朝神様仏様にお祈りしているのですが、この祈りがちゃんと届きますように。。。 ▲
by obreykov
| 2010-08-23 15:48
| フィギュアスケート
昨日13日はストックホルムのノーベル賞授賞式の開催されるコンサートヒューセットというコンサート会場でショパンマラソンという、スウェーデンのピアニストによるショパンのピアノ曲のマラソンが午後3時から14日の朝3時まで行われました。
イヴの日本人学校での親友が、大きくなってからふとピアノを弾き始めて、今では久石譲の曲だけでなくクラシックのピアノにもとても興味を持ち始め、彼が3時からききに行っていると言うので、私も彼のお母さんと夜になってから出かけました。 イヴはというと謙などもききに行っていたグロナルンドという後楽園のようなところでロックコンサートに友達といっておりましたが、帰りにここのショパンマラソンに来るようにと、待ち合わせていたのでした。 何の行列かというほど演奏会場の外まで長蛇の列でした。さすがに無料のコンサートだとこんなにも人が集まるのか、とびっくりしました。 私たちは10時ごろ入りました。 次の曲のころ、イヴが到着しました。 イヴはコンサートの中で一番良い曲を聴いた感じでした。バラードop.23を聴いていると、今は亡き私の恩師、田中園子先生を思い出し、涙が出そうになりました。 その次はエチュードのop.25の全曲でした。1曲弾くのも腕が疲れるのに、12曲、休みなしに弾きこなすなんて、とびっくりしました。音大時代の苦しかったレッスンを思い出しました。「フレーズを何できれないの?自分でわかるように何とか注意書きを書き入れなさい!」なんて、ちょうど私の先生がアメリカに行っている間代講だった厳しい先生に、怒鳴られたところ、こうしてきいていると確かにその部分ではフレーズをきらないとおかしいのに、なぜかその部分で切ることができなかった私。。。あれは何だったのだろう。。。と思いました。 そのほかワルツなどいくつか聴きました。中にはとても速いテンポで淡々と弾いているピアニストも居て、ちょっと淡々としすぎているな、と思いましたが、前に座っている女性は頭でテンポを取って、嬉しそうに聞いていたので、意外でした。 そうこうしているうちに、ニッキィが一緒にスケートの合宿に行っているダンネのお母さんからダンネが41度7部の高熱でサントヨーラン病院に来ているとSMSが入りました。 実はこの夜、ニッキィとダンネとミッケはリンショーピングという街から戻ってきて、1週間一緒に射たのも足りずに、ミッケとダンネの家に一拍するのだといってあちらの家にお世話になるはずだったのです。 私はびっくりしてコンサートもその後はマズルカやノクターンだったので、そんなに魅力もなかったのも手伝って、ニッキィを迎えに行くことにしました。 ダンネは太ももの内側に炎症があったのですが、それが原因か何か、いまだにわかっては居ないのですが、たぶんバクテリアの炎症を起こしているらしく、とりあえず、点滴と抗生物質で入院という事になってしまったのです。 朝は少し熱があって、具合が悪かったそうですが、その後、前日にいった病院でもらった薬を飲んだら、熱も引いて気分も良くなり、スケートの練習は控えたようでしたが、帰りの汽車の中でも原器だったようです。ところが迎えの車の中で急に震えだして高熱に襲われたと言うわけです。 CTスキャンやレントゲンや血液検査などをしているようですが、どのバクテリアかわかるまで時間がかかるそうで、今はとりあえず色々なバクテリアに効く抗生物質を投与している状態で、月曜日になったらはっきりしたことがわかり、そのバクテリアにきく抗生物質に変えることができると言うこと。。。 彼の従姉妹は22歳のとき、スウェーデンでハルスフルスといわれる喉の痛みのバクテリアで抗生物質を与えられ、良くなった感じがしたので、最後まで飲まずに薬を捨ててしまったところ、感知しなかったので、バクテリアが脳までいってしまい、倒れてしまったそうです。ところが病院では脳出血か何かかと思って別の方向で調べていたので、手遅れになり、生と死の間をさまよったとのこと。。。 たかが、喉の痛み、と思っていると大変なことになります。 現在29歳の彼女は法律を勉強を続けているそうですが、言語障害を残してしまったそうです。 ダンネは私たちにとっても自分の子供や兄弟と同じくらい大切な人なので、一日も早く元気になって欲しいのです。 ▲
by obreykov
| 2010-08-15 05:00
| 音楽
17年前の8月13日も金曜日でした。12日の夜、産気づいて3番目の子だったので、結構ゆとりの私は、まだまだかな、なんてのんびり母の作ってくれた肉じゃがを平らげてから病院へ出かけよう、なんてしていたら、うちから10分程度の病院へ着くまで車の中で何度か陣痛に襲われました。
病院へ着くと、なにやら入院の手続きやら色々して、シャワーを浴びるように言われ、スタスタとシャワー室に行ってのんびり浴びていたら、急に陣痛が普通でなくなったので、「ああ、もう産まれそう」というと、助産婦さんやパパが車椅子でシャワー室から運んでくれました。 分娩台は、普段は普通のベッド上になっていて、ここで、妊婦は最後の陣痛が来るまで苦しむことになっており、最後にベッドの下の部分をはずして分娩台に変身するわけですが、私の場合、そんな暇もなくベッドの状態で、イヴがポロッと産まれてしまいました。8月13日金曜日になったばかりの夜でした。 我が家では3800グラム、51センチという一番ジャンボベイビーでした。 これだけ大きいとしわくちゃの赤ちゃんというイメージはなく、しっかりした赤ん坊でした。 しかも、産後も良かったので、翌日13日だけ病院に泊まり、手伝いに来ていた父母や、ネディ、謙がパパと赤ちゃんを見に来て、14日には退院をしたので、父と母もとてもびっくりしていました。 それが17年前のことでした。 昨日は、謙がイヴへ誕生日プレゼントを私と一緒にするということで、仕事の後やってきました。 謙は、数ヶ月前、元カノ(その辺が私には理解できない)と1ヶ月部屋をシェアする、と出て行き、その後はアメリカから戻ってきているヨンと部屋をシェアして、現在うちに寝泊りしていません。 謙はうちで一番稼いでいるはずなのに、一番貧乏です。 なぜなら、すぐに洋服やら旅行やらに消えてしまうからです。 iPhoneが出た当時、すぐにアメリカから買って使っていたのですが、今、新しいヴァージョンが出て、発売と同時に購入したとのこと。そのため、携帯番号も変わり、契約解除の差額とやらを私が払うなら、ふるいiPhoneを売らずにイヴに誕生プレゼントとしてあげる、というのです。 なんだかややこしい話ですが、とにかく、パリに行くためお金が必要で、古いほうを売ろうとしていたので、ちょうどイヴとニッキィの携帯が壊れたところだったので、売らないで、とストップをかけたのでした。 お古とは言ってもまだまだ新っぽいiPhoneです。一日早い誕生プレゼントでしたが、イヴは天にも昇る喜びでした。 私は、久しぶり掃除機をかけて拭き掃除をしたら、頭がくらくらしてきたので、午後、昼寝をして降りました。なんだかエンジンがかからないので、夜ご飯も子供たちに頼んで、久しぶり温かい一日だったので、外に食卓を作ってミオと遊びながら夕食を待ちました。 ▲
by obreykov
| 2010-08-13 18:22
| 徒然なる生活
7月23日は、毎年恒例の熊本本名寺で頓写絵が行われます。実家はこの本名寺からバスで数分のところにあるので、この時期熊本に居るときは子供たちも楽しみに夕方から出かけます。
頓写絵は、加藤清正公の死を悼んだ日蓮宗の僧たちが約7万字に及ぶお経を一晩で写経したのが始まりとされております。前回はその写経も見ました。 本名寺の入り口から境内に続く道は沢山の屋台が出て、それもまた楽しいものです。浴衣を着た小さい子からお年寄りまでが沢山の階段を上って境内まで向かいます。 その階段脇の灯篭に火がともるとそれはそれはなんともいえない美しさです。 ![]() ![]() 300段ほどある階段を登ると加藤清正公の銅像があります。ここから見る熊本の景色は素晴らしいものです。暑い時にある頓写絵ではありますが、ここまで来ると心地よい風が吹いています。 ![]() ![]() ![]() ![]() 仏舎利塔も見えます。 ![]() 写経の奉納後、読経が夜半まで続くそうです。 この日は実家のバス停から熊本市内中心街に行くバスも途中通行止めとなり、ピストン運行をしています。 ![]() ▲
by obreykov
| 2010-08-11 22:49
| 旅行
サービスを売る国民、日本から気分良く戻ってきました。帰りの飛行機も満席ではありましたが、ANAの良いサービスにかなり体は疲れておりましたが、心地よく旅ができました。
ところが、ロンドンに着いたとたん、まるで犯罪者か動物かのような扱いを受けた感じがしました。 せっかく買っていた日本の飲み物も、まあ、とられるのは当然として、とられる前に飲みたいと思ったのに、すでに取られてしまって返してくれないし、ヒールの少しあるサンダルをはいていた私は裸足になるよういわれるし、私だって下手な英語かもしれないけれど、無効も変な外人たちが変な外国語を話しながら働いているし、日本でのお姫様扱いからすごいギャップでイヴとニッキィともども、ああ、悲しいね、寂しいね、日本へ戻りたいよお、と話しました。 考えて見るとここを出発するときもストックホルムの空港カウンターで日本人の係りの人に当たって、とても感じよく送り出してもらえたのでした。 ルフトハンザはまあまあでしたし、お腹がすくとおにぎりをいただけたのが嬉しかったです。 日本へは初めて名古屋に着きましたが、お役人さんたちも昔のようにいかつい感じがなく、気分良く入国できました。 名古屋から福岡、福岡から高速バスで熊本へと、その後は良いサービスと感じの良い笑顔にいつも良い気分になっておりました。 店に入っても感じの良い売り子さんたち、一度は暑さと疲れからだと思いますが、イヴが街で胃痙攣を起こした時でした。 ダイエーというデパート前の道に、うずくまったので、とにかくデパートに入ってエスカレーター横の椅子に座らせました。 しばらくすると「もう、息ができない感じ。。。救急車を呼んでください。」なんていいだすので、びっくりしたら、少しもどしてしまいました。 あわてて、売り子さんに「息子が気分悪くなってもどしてしまいました。掃除する道具を貸してください。」といいに良くと「そんなことは、どうでもよいから、救急車を呼びましょうか。」 と数人の人が来て色々と世話を焼いてくれ、またイヴはゲッともどしてしまいました。すぐに掃除の人が来てきれいにしてくれ、職員の休憩室で休むように連れて行ってくれました。 もどしてしまったイヴはかなり気分も良くなったようで、夕食の買い物をする間、休ませてタクシーで帰ったというわけですが、本当に人々の優しさに涙が出るほどでした。 日本人の思いやりの気持ちはどの国民にも負けないと思います。 スウェーデンでたくさんの外国人に接して、韓国人タイ、シンガポール、トルコ、ペルシャ、アフリカの人々も本当に心の優しい人が多いこともわかりました。 ▲
by obreykov
| 2010-08-10 19:47
| 旅行
あっという間の日本滞在から帰ってきて、あっという間に数日が過ぎてしまいました。
なんという速さでしょう! 日本へは今回は7月13日に発ち、フランクフルト経由のルフトハンザで名古屋入りをし、そこから福岡空港へ降りて14日の夕方には熊本に到着しました。 そのまま家にいると寝てしまいそうで、時差ボケ防止のため、バスで15分くらいの街まで出かけました。すごいパワー! そこで今回はなんとプリペイドの携帯電話を手に入れたのです。電話自体は私のこちらで使っているHTCという携帯というより、ナビゲーションと予定表を主に使っている、こちらのプリペイドのSIMを入れている携帯を持って行ったのでした。しかもその中に入っているこちらのSIMがドコモの電波を利用して使えたのにはびっくりしました。 とはいっても数秒だけ家に電話しましたが、いくらかかるか、後ほど請求書が来たときが楽しみです。 ヨーロッパの中を旅行するときは「ようこそ!ここでは通話はいくら、SMSはいくらです。」とSMSが入るのに日本では何もメッセージが入りませんでした。 とはいっても、スウェーデンのComviqが日本のドコモの電波を使って使えるということにはびっくりしました。 ソフトバンクのSIMを購入して私の携帯に入れるとちゃんと使えるようになったので感激しました。 ところが日本では携帯は通話のほかはEmailを使うようで、私たちがヨーロッパで気軽に利用しているSMSはほとんど利用していないことがわかりました。それもそのはず、SMSは同じ電話会社同士ではないと使えないということ。。。 なんと島国根性そのままの日本でしょう! とはいっても、携帯電話がもてたということはすごいことでした。 残念なことに私のComviqのSIMをソフトバンクの携帯に入れてみてもらったらカードを読み取ることができないので、やっぱり日本の携帯はロックがかかっていて他の会社のSIMなどは使えないことがわかりました。 こちらでも会社ごとにロックがかかっていることが多いのですが、ある一定期間を過ぎるとロックを解除することもできるし、その前にもロックを解除する方法があります。 日本ももう少し、広い心を持って携帯など開発すればよいのに。。。と思いました。 日本でのことは徐々にのせていきましょう。 ▲
by obreykov
| 2010-08-09 22:35
| 旅行
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